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創作のきっかけは夏休みの宿題

 先日もこんなことを書いたが、今年の夏は暑い。

 今日時点で、最高気温29度以上が17日連続だ。今シーズンの真夏日だけに絞っても、既に14日間になっている。異常だ。だが、夏らしいとも言える。
 冷夏だと、シーズン中に真夏日がなかったり、連日夏日にすらならないこともあるから、それに比べればよろこんでもいいだろう。電気料金と老母の体調が気に掛かるが。

 ここ2、3年で、ニコライ宮殿(拙宅のこと)の周囲には若い家族が住む家が増え、小さな子どもたちも増えた。少し涼しさを感じられる夕方になると、近所の子どもたちがお互いの家の庭を行き来しながらはしゃぐ声が聞こえてくる。

 コロナ禍のもと、昨夏はそういう声を聞かなかった。コロナの状況は一年後の今夏もあまり変わりがないと思うが、大人たちがこの状況に慣れてしまったのと、子どもたちが1歳大人になって近所の友達同士で遊べるようになったのと、何より、暑くて暑くて大変夏らしい、ということなのだと思う。

 はしゃぎ声が毎日続いて、ふと気付いた。
 そうか、子どもの世界では夏休みに入ったのだ。
 今年は祝日の移動があったので、おそらく7月22日から夏休みなのだろう。三世代同居の家では、曜日に関係なく「お庭バーベキュー」をやっている。夫婦と子どもの家庭でも、週末にはビニールプールや焼き肉用コンロを囲む姿が見える。

 ワタクシは転勤族の家庭で育った。新聞社勤めだった父は、浮世離れした少々風変わりな男だった。

 高校を卒業するまでの間に、家族旅行をした記憶は5回で、そのうち3回は法事だった。家族で海水浴に行ったのは2回。映画を見に行ったのは3回(母とであって父は行っていない)。とにかくとにかく、イベントのない家庭だった。なんせ、18年間の海水浴や映画の回数を覚えているくらいなのだ。

 車を持っていない家だったことも影響しているだろうが、あの時代、車がない家庭は今ほどめずらしくはなかった。

「〇〇ちゃんの家は車があるんだってー」
「ふうん、いいなあ」

というような会話をしていた。だから加えて、全体的な暮らし向きの事情もあったのだろう。

 それはさておき、とにかく実家では、子どもが夏休みだろうがなんだろうがイベントなど発生しなかった。

 イベントがない子どもが困ること。それは夏休みの日記や絵日記の宿題だ。

 北海道の学校は、夏休みが短い。しかし短いといっても、小学校で25日間程度はある。

 1週間もすれば、書くことがなくなってくる。「今日のお昼ごはんはそうめんでした」と、毎日書く訳にはいかない。

 そして、幼いワタクシはある日考え付いたのだ。自分の毎日を創作することを。

 それからは、日記を書くのが楽しくなった。いま振り返ると、ワタクシの「書くことは精神の棚卸」という心境は、ここがスタートだったのだと思う。

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 創作は楽しくて楽しくて仕方なかった。

 「今日は、しんせきのおじさんに、海につれて行ってもらいました」
 「今日は日ようびだったので、おとうさんがどうぶつえんにつれていってくれました。おかあさんとおねえちゃんもいっしょに行きました」
 「いとこのいえにとまりにいきました」

などなど、かなりのイベントを創作した。

 楽しいことがなければ楽しいことを作ればいいのだ、と気付いた訳だ。
 想像の中で、友達がふつうにしているような日常的な楽しいことをたくさん経験、つまり捏造した。

 さすがに、「外国へ行った」というようなすぐにばれてしまうことは書かなかったが、日記を読んだ担任の先生はどれだけ信じてくれていたのだろう。どの学年のときも、疑われたり叱られたりしたことはなかった。

 母も母で、「勉強しなさい」「宿題をしなさい」が口癖だったが、漢字の書き取りや算数のドリルをチェックすることはしても、いちいち日記を読んで確認することはなかった。

 何か書いてあるから安心していたのだろうと思うが、ワタクシの夏休みの日記が創作で成り立っていたことを、あの頃の母は知っていたのだろうか。ちょっと聞いてみたい気もする。

 ちなみに、浮世離れしていた父は子育てに興味がない不思議人だったので、ワタクシが創作日記を書いていたことなど当然知ることなく一生を終えた。

 宮殿の近所の子どもたちは、幸せだと思う。
 少なくとも、日記や絵日記に嘘を書かなくても、書くことがたくさんある。休みの日に家族で遊ぶ、父親が自分のために何かをしてくれる、というのは、ワタクシはほとんど体験できなかったことだ。

 天気予報を見ると、真夏日はまだまだ続くらしい。
 あの子たちは、まだまだたくさんの思い出を作るだろう。日記も絵日記も、ほんとうにあった楽しいイベントでいっぱいになるはずだ。
 なんて健全なのだろう。

 両親には、創作の楽しさに気付かせてくれたことに感謝している。

 

 

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