見出し画像

ことばの話 ~祖父の言葉遣い

 9月8日は、祖父の誕生日だった。もちろん、かなり以前に他界している。

 同居していた祖父は、1899年生まれだった。子どもの頃、父は何かにつけ「おじいちゃんは前世紀の生まれなんだぞ」
と言っていた。
 世紀とは何なのかもきちんと理解していなかった頃から言われていたので、ワタクシの中では、19世紀は何となく身近だった。
 21世紀のいまとなっては、19世紀は前々世紀。令和の若者にとっては、歴史の教科書の時代だろう。ちなみに、1899年は明治32年だ。

 父は浮世離れした不思議な人間で、子育て、というよりも家庭を持つことにとことん向いていなかった。週末は、前の晩から朝昼晩と、ずっと寝ていた。これを奇妙に感じ始めたのはかなり成長してからなので、三つ子の魂なんとやら、とは恐ろしい。
 そのような環境で、幼少のワタクシはおじいちゃん子だった。

 ワタクシの年齢ではめずらしいことではないが、祖父母は北海道への移住第一世代だ。父をはじめ子どもたちを伴っての移住だったから、ワタクシはまだ第二世代というか第三世代というか、その程度。江戸っ子の定義に当て嵌めれば、「道産子」を名乗れない。

 祖父は愛知県の出身だ。愛知と言っても名古屋方面の尾張ではなく三河の方で、平成の大合併で田原市となった農村地帯だ。

 余談だが、学生の頃知り合った名古屋出身の人に、
「うちもルーツは愛知なの。渥美の方」
と話したら、
「尾張と三河をいっしょにしないで!」
と、強く言われた。北海道で生まれ育ったワタクシにはまったくわからない感覚なので、以降、内地の人と話をするときには気を付けよう、と思ったものだ。

 まあそんな訳で、祖父の言葉遣いには故郷の色が強く残っていた。

 祖父は「黄色い」と言わず「黄ない」と言った。「黄色ではない」は、「黄ない色をしていない」になる。
 ワタクシが幼稚園で描いた牛(ホルスタイン)の絵を見て、祖父は
「牛はそんな黄ない色をしていないよ」
と言った。白いクレヨンを塗っても色がつかないので、ワタクシはクリーム色を塗ったのだ。実家が酪農家だった祖父にとっては、看過しがたいことだったに違いない。

 祖父が亡くなって以降、「黄ない」を聞くことは長らくなかった。が、勤め人だった頃に名古屋からの転勤者が来て、久し振りに「黄ない」を聞いた。彼のアクセントだと、「黄ぃない」と表記した方が似ているが、祖父の言葉遣いはやはりあちらのものだったのだと実感した。

 「とても」の意味で「馬鹿に」と言っていたのも、よく覚えている。
 母が作った食事に対し、
「今日は馬鹿においしいねぇ」
と言っていた。母はあまり褒められている気にならなかったようだが、これは祖父の最大限の賛辞だったはずだ。

 農林産業に従事していた祖父は、畑を作るのが上手だった。農作業しながら、
「今日は馬鹿にいい天気だねぇ」と。
 採れた作物に対して
「馬鹿に出来がいいねぇ」と。
 これも方言だったのか、それとも祖父の言葉癖だったのか。

 父は祖父の故郷に住んだことはなく、また学齢期に札幌に来ているので、祖父の言葉遣いを引き継がなかった。そして、祖父の他界とともに祖父特有の言葉遣いを聞くことはなくなった。

 しかし、祖父が亡くなってから既に30数年経つが、ワタクシは祖父の言葉遣いをしっかり覚えている。おじいちゃん子故だろうか。

 またしても余談だが、祖父と祖母は誕生日が同じ日だった。
 だから幼かったワタクシは、夫婦とは誕生日が同じなものだと思っていた。両親に向かって、「どうしてパパとママは同じ誕生日じゃないの」と、くだらない質問をしていた。何度も。聞かれた方も答えようがなかっただろう。

 祖父の誕生日が過ぎると、秋らしくなってくる。今年もそろそろ、秋が深まる頃だ。
 


興味を持ってくださりありがとうございます。猫と人類の共栄共存を願って生きております。サポート戴けたら、猫たちの福利厚生とワタクシの切磋琢磨のために使わせて戴きます。