2022/12/7 『竹取物語』あなたは「不死の薬」を飲むか?

 中学1年で『竹取物語』を扱う。よく知られたかぐや姫の物語だが、最後の場面でかぐや姫は「不死の薬」を残して月に還っていく。不死の薬があったら、自分ならどうするか?という質問をこの作品を扱うたびにしているが、以前に比べて、「限られた人生だからこそ、おもしろい。自分なら飲まない」という意見が増えたように思う。反対に「飲む」と答える生徒は一人か二人になってしまった。
 答えとしては美しいし、現実に不死の薬は存在しない以上、そういった有限の人生のなかで精一杯生きていこうという気持ちは、立派である。でもなんだか釈然としない。
 物語の中で、おじいさんとおばあさんは薬を飲まず、寝たきりになってしまう。帝みかどはかぐや姫のいない世を憂い、やはり薬を飲まず、富士山で薬を焼かせてしまう。これらの結末に感動するのは、不死という誰もがあこがれるものより、かぐや姫のいないことの悲しみが上回ってしまうということに対してだろう。現在、『竹取物語』を読んで、結末に意外性を感じ、感動することはなくなってしまったようだ。
 それにしても、今の中学生と帝の心情には大きな違いがあると思う。帝は心から愛した女性を失い、この世を憂うれう。しかし、中学生は世を憂いているわけではなく、世の中を知ったような気になって、ある意味達観しているのではないか。まさに「憂き世」と「浮き世」の違いである。死について深く想像することができず、他人事のように考えているのかもしれない。昨今、軍事化が進められ、戦争が身近になってきている事情とも相まって、死を想像できない生徒たちが心配になる。死について深く考えられなければ、生についても考えることは難しい。文学を通して、死を体験し、生を輝かせてほしいと思う。


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