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人の振り見て気を引き締める日

美術館の監視員の主要な仕事に、展示されている作品保護のため、お客様にルールを守ってもらうようお願いすることがある。例えば、展示室内で飲食しないでくださいということであったり、作品に手を触れないでくださいということであったり、そんなルールである。
このアルバイトに就いた時の研修で言われたのが、注意ではなく、ご協力をお願いするというスタンスで、ということだった。それに少々驚いたのを覚えている。この仕事を始める前にも美術館はよく行っており、声を掛けられたこともある。その時受けた印象はまさに”注意された”であり、協力を求められているイメージはなかった。

そんなわけで、実際の監視の仕事に入った時、声を掛けるのには非常に気をつかう。
作品から離れたベンチで水を飲まれていたり、ガラスケースの前でシャープペンシルでメモを取られていたりするくらいであれば、すぐさま影響がないので落ち着いて声を掛けることができある。
ところが、作品に近づいて、指をものすごい至近距離で指していた時、特に作品がむき出しの場合は、ものすっごく慌てる。慌てるがために言葉を考える余裕がなくなってしまう。
そんな時に高圧的に聞えてしまったんじゃないかな、と後から心配になるのだ。
幸いなことに、今のところはお声掛けに関してのクレームを受けたことがない。

でも時々、クレームを受けたといった内容を、仲間がトランシーバーで発報しているのを聞くと身が縮む思いがするのだ。本日もそのような発報があり、割と大事になってしまったようだった。
どんな雰囲気で声を掛けたのか、どんな状況だったのかは分からないのでなんとも言えないが、人の振り見て我が振り直せではないが、身が引き締まる思いがした。シチュエーションは発報されていたので、あれやこれや、どう言えばいいのかを考えていた。

結局は正解は見つからなかった。それぞれのお客様で受け止め方は違うのはそうだが、やっぱりいくら言葉を尽くしても”注意された”という感覚はどうしても持ってしまうんじゃないかと思うのだ。
例えば、作品からものすごく近いところで指をさすという時。監視員の立場からすると、どんなに本人が注意していたとしても、何かのタイミングで触ってしまう可能性はゼロではないので、できるだけそのリスクを下げたいところ。実際に触ってしまった場合、作品自体がダメージを受けるだけではなく、触ってしまった本人にも悪影響を与える可能性もゼロではないのだ。
でも鑑賞者からすれば、触らないように気をつけているだろうし、楽しく鑑賞しているのだ。そこに水を差すということは、どんな言葉であっても事実としてある。

とは言っても、気分を害してしまうだろうからといって声を掛けないわけにはいけない。
美術館へ出かけていって、”注意された”としても(実際には注意ではないけれど)、その後味によって美術館での体験が悪いものにならないように最善を尽くすしかないなと、今日改めて気を引き締めたのであった。

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