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元仲間の外野からの批判に耐えるには?

冗談口調で「外国に住む妹が帰国するのだけれども、外国人ぶっておいしい日本食を食べたいと言う」的なことを言われているのを聞いて、分かる!と思ってしまった。
念のため補足しておくと、それ以降の文章からも妹さんへの愛を感じるので、この言葉は皮肉でもなんでもなく、本当に冗談である。

分かる!と思ったのは、外国人ぶった記憶もあれば、外国人ぶたれたこともあるということだ。
イギリスに数年住み久しぶりに一時帰国した時には、「おいしい日本食食べたい」「京都行きたい」と、外国人観光客のようなことを言いまくっていた。
そして今、イタリアに住む小学生からの友人が一時帰国するというので、まさに当時の私のようなことを要求してきている。さすがにそこまでこてこての”日本”を求められていないが。

かつてその友人は私に、私と話すのはとても楽と言っていた。
その理由は、海外に住んだことがない人に話をすると、「外国にすっかりかぶれている」と思われてしまって、何も話せなくなるからだということだ。私はイギリスに住んだことがあるから、彼女が話す内容に対してかぶれていると感じることなく、普通に受け答えをするから変に気をつかう必要がないというわけだ。
それは何となく分かる感覚である。仮にその子が「イタリアではこうだ」と言った時、本当に他意はなく、単純に事実として述べているだけなのに、人によっては優位的に聞こえるのかもしれない。

ただし、実は私もその子の言いぶりにムッとしたことはある。
それはコロナ禍の時だった。イタリアでは厳しいロックダウンになり、会社も実質休業のような形になったので暇ができたのだろう。何よりも一人で不安だったのもあるかもしれない。頻繁にチャットツールでやり取りをしていた。
それがエスカレートしてきて、どんどんと日本批判が含まれるようになった。イタリアはちゃんと厳しいロックダウンをすることによって感染者数を抑えられているのに、日本では政府の動きが遅すぎてどんどん増えるばかりだよね。
あのコロナの状況において、何が正解か分からなかったので、一概にどちらが成功でどちらが失敗か言えないじゃないか、そもそも文化的背景がまったく異なるなかで、どちらがいいかなんて言えないじゃないか。そんな反発心でいっぱいだった。
そのムッとした気持ちの根底には、外野の日本人が日本を批判するなよ、という気持ちが強かった気がする。

これと似たようなことがつい最近も起きた。今度は国の話ではない。
前々職の同僚たち4人と去年くらいまで、定期的に会ってご飯をしていた。メンバーの内訳は、2人はまだ全然職に残っており、私を含めた2人は退職している。
ところが去年になっていつの間にかその会は立ち消えてしまった。それがふとしたきっかけで、私が在職の1人にコンタクトしたところから、もう一人の在職者と3人で会うことになった。
その時に語られたのが、もう一人の退職者があまりに会社の悪口を言うので、そこに留まっている私たちはなんなの?という気分になったから、積極的に声を掛けなくなったということだった。私はそんなことがないから、また3人で会おうということだった。
確かに辞めたということは会社に不満があって辞めたということだ。しかし私はどちらかというと、当時の社長と上司のやり方に不満があったものの、会社自体は今も好きである。対して、もう一人の子は相当に会社に恨みがあるようで、確かに会社への悪口がきつかった。
例えば、在職者の2人がちょっと仕事の愚痴を言ったら、それに乗っかって何倍もの悪口を言うという感じである。
まさに、外野の元社員が会社の批判をするなよ、というところである。

おそらく全くの外国人であったり、会社に関係ない人が批判していたら、「何も分かっていないくせに」という感情で切り捨てられて、ここまで引っ掛からないと思う。
ところがなまじ日本やその会社を知っているから、批判(というか悪口に近い)が、全く関係ない人より的を得ているのだ。

まだ残っている人というのは、いくら愚痴を言っていたとしても、そこに少なくとも1割程度は愛着なりを持っているものだ。そしてなんとなく、元々いた人たちに対しても、「そうは言ってもいい所あるのを知っているよね」と思っている節があるんじゃないかなとも思う。
しかし、外に出てしまった人たちは、わずかばかりでもあるはずのいい所を顧みずばっさりと切り捨てる時があって、そういった時にこちらはひどく傷つくのだ。
なぜなら、こちらが”いい所”と思っていることも、結局はよくないと批判されているようで、自分を否定された気分になってしまうのだ。

そうなると感情的になりやすく、私などはカッチ―――ンと来てしまい、いらいらが募るわけだが、でもよく考えてみたら、彼ら/彼女らはそこが嫌だからいないのだ。
私が思っている「なんやかんや言ってもいいところもあるよね」という感情を凌駕する「嫌なこと」があって出ていったとも考えられる。
もしかしたらそこまで強い負の感情を持っているわけではなくても、こちらが「そうは言ってもいい所あるのを知っているよね」という期待をかけなくて丁度いいんじゃないかと思うのだ。
そうすればイタリアに住む友人が、「日本のOLってみんなで一緒にトイレに行くんでしょ?私には無理ー」と言ってもイラっとしないのかもしれない……
いや、行かないよ!!!OLっていつの時代!!? うん、叫びそうだ。

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