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過去作品への向き合い方

そういえば、今年の初め頃に応募した絵本コンテストの結果は出たのかしら?と急に思い出し見てみた。
そうしたら、とっくの昔に10に絞り込まれ、最終結果も出ていた。ここまで音信不通だったところから察せられる通り、落選していた。

どこにも自分の名前がないページを見ながら思ったのは「なーーーんだ」。
強がりでもなんでもなく、悔しさもあまりなかった。
だからって落選するつもりで制作して出したのではない。
その時は出せるだけの力を注いだし、出来上がったのもその時のベストと間違いなく言える。作品自体に対しても愛着はある。
ただその作品が自分の中ではすっかり過去の作品となってしまい、あまり自分事として捉えていない節がある。おそらく、今制作しているものに夢中なため、過去にあまり気持ちが向いていないというのがある気がする。

考えてみると、自分は制作することに楽しみを見出しているようだ。そのため自分の完成品にそこまで執着がない気もする。もちろん、自分の作品には愛着があるし、なんなら飾ってあったりもする。
でも、自分の作品をしみじみ見返すこともないし、思い起こすこともあまりない。
絵本作家仲間の様子を見ていたら、自分の作品をよく見かえしているみたいだし、作品に愛着を持って色んな場面で販売したりグッズを作ったりしている。その完成作品への熱量を見ると、自分がちょっと冷めた人間に見えてしまうくらいである。
その仲間たちの様子を見て、自分は制作すること自体が一番楽しいんだなということに気付いたのだ。物語を考えて、絵を描いて、文章の推敲を重ねて、完成した瞬間が楽しさのピークに達しているのだろう。
だから制作を続けるのだろうし、次の制作に入ってしまうから、過去の作品に関しては一見冷めたような対応になってしまうのだと思う。

因みに、落選と知って、9月にある絵本作家仲間とのグループ展用の新作が間に合わなくても、これを出せる!と思ったのはここだけの話だ。
いや、グループ展には2作引っ提げていけるように頑張りますよ。

最後に供養というわけではないけれども、こんな絵本を制作していた、というもののご紹介。

上で過去作品は見返さないと言っときながらなんだが、今見ると、初めてのデジタル画で悪戦苦闘だったよな~など、当時頑張っていたことが思い出された。
と同時に、目鼻立ちはもう少し濃くても良かったんじゃないの?という反省点も。
見えてくる反省点は成長の証ということで、グループ展は出品する算段のため、この機会に見返してみようと思ったのだった。

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