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罪悪感のプラスチック

Netflixの自然系ドキュメンタリーを観まくってから、プラスチック=悪のイメージが植え付けられた。
だからできるだけプラスチックを使わないようにしたいところだが、日本で生活するうえでは脱プラスチックはなかなか難しい。
必要最低限ということでエコバックや水筒は持ち歩いているけれども、それが本当に些細なことではないかと思うくらい、何かを買えばたちまちプラスチックだらけになるからだ。

まずカフェやレストランに入れば、必ずと言っていいほどお手拭きをくれる。
お手拭きはプラスチックの袋に入っているし、中の不織布もプラスチックである。
小心者の身としては、渡された物を「いりません」と言える勇気はないので、受け取って手を拭いてしまう。

最近は心して新しい服を買わないようにしているが、生活必需品を買えばプラスチックだらけである。
詰め替え用のシャンプー・リンスはプラスチックの袋に入っているし、歯ブラシだってプラスチック製且つプラスチックの入れ物に入っている。
食べ物もプラスチックに包まれまくっている。
いくらエコバックを持ってきたところで、そこに入れる物、1つ1つが(時には1つの中には更に個別プラスチックに入っていることもある)プラスチックに包まれていたら、これにもう1枚増えようがなかろうが意味ないように見えてきてしまうのだ。

そうやってプラスチックに神経をとがらせ、スーパーで目を皿のようにして脱プラスチックにできないか商品を探すと、買える物が極端に減ってしまう。
どうしても必要な物は仕方ない…と目をつぶるとしても、そうなるとお惣菜もNG、お菓子なんてもってのほかになってしまう……

つまり個人単位では脱プラスチックは不可能に思えるくらい困難だし、企業に促すためにプラスチックのものは買わないという選択を持つこともできない。
少なくともそう思ってしまう。

今、バイオプラスチックという、環境により優しいプラスチックの普及が進められているという。
ただまだコスト高ということで、すんなり普及とはいっていないみたいなので、それこそスーパーレベルの日常で回りだすのにはまだまだ時間がかかるのだろう。
(素人の浅はかな考えでは、買い物袋を有償化したなら、そのお金をバイオプラスチックの研究に回すとかできないのかと思ってしまうのだが…)

それまでは身もだえながらも、できるだけ個別包装されていないものだとか、プラスチックを使ってなさそうなものを選ぶ、という些細なところから行動していくしかないのだろう。
せめてお手拭きを「いりません」と言える勇気をつけたいところだが…

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