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苦手な夏がやってきた

いよいよ暑さも本格的になってきた。
「暑いのと寒いの、どっちが得意?」と聞かれたら、食い気味に「寒いの!」と言うくらい暑いのが苦手である。よって、夏が一番嫌いな季節である。

夏のじりじりと照りつける太陽。上から押さえつけるかのような太陽光と、下から射すような反射光。肌にぴっとりと貼りつく熱気。もはや逃げ場がない。
ちょっと動くだけでも暑さが倍増するが、じっとしていたってものすごく暑い。
汗がだらだらと流れて、その汗も熱を持っているかのように、熱湯が肌をつたうかのように存在感がある。

更にはセミの声が暑さを加速させる。
短い人生とは分かっていても、同情も一瞬で吹き飛ぶうるささである。
「蝉時雨」なんて美しすぎる言葉。「蝉豪雨」と言いたい。
あまりのうるささに、「あつい」という三文字を残して、残りの思考がいっさい消え去るくらいである。

この暑さ、湿気があるから余計に暑く感じるのだろうとは思うが、だからといって湿度が低いと快適かというとそうでもない。
ヨーロッパなど湿度が低いのだが、その分、太陽の光が直接攻撃してくるようで、むしろ光が痛い。
随分昔、夏にロシアに行ったことがあった。行く前に『罪と罰』を読んだ時には、暑さがキーとなっているのがどうも腑に落ちなかった。ロシアといえば極寒のイメージで、夏は涼しいと思っていたのだ。
ところがどっこい。めちゃくちゃに暑い。暴力的と言えるくらい太陽の光が突き刺してくるのだ。

そんな訳で夏は逃げ場があまりなさそうである。
特に温暖化が叫ばれている今、年々、どこもが最高気温を更新しているかのように見える。
この暑さをなんとかしなければいよいよ地球がやばいと思いつつも、クーラーが手放せないこの悪循環。

とつらつら夏の暑さを語りながら気付いたのが、暑さについてはいくらでも話せるなということだ。
逆に快適と思う春の少し暖かくなってきた空気や、秋のひんやりとした空気については、こんなに長々と、まさに暑苦しく語れない気がする。
やはり快適だと、「過ごしやすいな」だけで感情が動かないのだろう。逆に不快だと苛ついて頭の中で文句が渦巻くので、思い起こす時にありありと思い出すようだ。

また、気持ちの良い風に至福を感じるのは、総じて夏の暑い日である。
昼間の暑さにくたくたとなっている夕方、暑さがほんのわずかだけマシになった時に吹く涼しい風。何よりも感動する。
そう考えると、夏の暑さという私にとっての最上の不快さは、感情を湧き起こすためにあると考えても良さそうだ。
そう考えると夏もそんなに悪くないと考えられるかもしれない。と暗示をかけながら、今年の夏を乗り切っていきたい。

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