見出し画像

ゆりかごの森 【800字小説】

 私の見る世界は、いつだって揺れていた──。

 歪んで、揺れて、定まらない。
 人も、ビルも、すべてがゆらゆら揺れている。

 八百万の神がいるとされるこの国で、神の姿を見たことがあるものは少ないだろう。
 それは、見たものを神と思わない人間が多いからであって、実際、神はどこにでも存在するのだ、と誰かが言った。
 けれど、私は神なんて信じない。
 私だけをこんなに不幸な目に遭わせる神など、存在してほしくはない。

 一体私は、なにに傷ついているのだろう?
 私を不幸たらしめるものとは、なんなのだ?

 そんなことすら、忘れてしまった。

 横殴りの風に煽られ、冷たい雨に濡れ、私は彷徨う。
 もう、終わりにしたい。
 すべてを投げ出して、時を止めてしまいたいのだ。

 歩道橋の上には、誰もいない。
 灰色の光景は、私の心を奮い立たせるに充分なものだった。

 サヨナラ、神様。
 サヨナラ、私。

「これ、使ってください!」

 ふいに声を掛けられ振り向くと、そこにいたのは顔を赤らめた少年だった。
 知らない子。
 誰?

「顔色、悪いです。大丈夫ですか?」
 緊張した声でそう言われ、返答に詰まる。
「あの、黄色の傘なんて小学生みたいで恥ずかしいかもですけど」
 グイ、と傘を差し出され、思わず反射的に手に取ってしまう。
「え? あの、」
「じゃ!」

 傘を受け取った私を見て、少年が笑顔になった。
 そしてそのまま駆けていく青いスニーカー。

 放心してしまった私は、走り去る少年の姿が見えなくなるまで見送った。
 
 傘を、広げる。

「似合わない色」
 くるくると回す。
 風に飛ばされないよう、ぎゅっと握りしめて。

「うわ、すげえ!」
 誰かがそう叫ぶのを耳にし、声のする方に目を遣る。
 釣られ、私も視線を追いかけた。

 ──虹だ。

 私の真後ろに、大きなアーチがくっきりと見える。
 虹の色は七色だというけれど、そこに見えるのは無数の、名もない色たち。

 ……背を向けていたのは、私だったのかもしれない。
 世界は、揺れてなどいない。

 私は、ここにいる──。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?