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カテゴライズしないで

「ニコって〇〇な人だよね」と言われると、むっとする。

言ってくるのは、大抵、あまり関わりの無い人。
私と親しい人は、おそらく私がそういう主旨の言い回しを嫌がるのを知っているので、めったにしない。

「今まで話した印象だと」と一言ことわってくれるならそこまで癇に障らないけれど、いかにもこうでしょうと得意げに言われると、「…は?」という気分だ。
端的に言って興ざめする。

そういう人は、頭がいい。
あるいは、自分では自分を頭がいいと思っている。
私の言動や行動から私の志向性を分析して、導き出したいのだろう。
誰に対しても無意識にそんな風にカテゴライズをしていて、ふと口に出してみた…というところか。

私はカテゴライズされると、「いやいや、あなたに何がわかるの?」と言いたくなる。
その人に見せている面なんて、私がもつ多種多様な面の内のいくつかでしかないのに、いくつかの面を見聞きしただけで私をわかった気にならないで…と思う。

〇〇な人、とカテゴライズするのは勝手だけれど、それを相手に何の臆面もなく言えてしまう性質も、私とは相容れないと思う。
私だって「あーこの人こういうタイプかなぁ」と思うことがあっても、必要がなければ相手には伝えない。
自分がそんなこと言われたら嫌だからしないというのもあるし、そんなこと言って会話が盛り上がる文脈があまり想像できない。

◇◇◇

就活の一環で自己分析した時、他人に自分の印象について書いてもらうワークがあった。
その結果を見て、他者の評価には、自分がその人とどんな風に関わっているのかが反映されていることを実感した。

どういうことかと言うと、人によって「私」の印象が異なっているのだ。

複数人でワークをしたことがある人…アクティブ、意見をはっきり言う
一対一で仲良くしている人…傾聴力がある、包容力がある
アルバイト先の人…誰とでもうまくやれる
家族…頑固、ストイック

他者の目に映る「私」の姿は、どんな場面で、どんな関係性を築いてきたかに依存している。
それぞれの関係性の中で、私が見せている面も様々だ。

◇◇◇

だから、ある人のことを完璧に知るなんて不可能だと思う。
四六時中一緒にいたって、その人が心の中で自分にしか見せていない面もあるだろう。

不思議なことに、心理テストのような形式だと、カテゴライズされてもそこまでむっとしない。
おそらく、質問によってある程度複数の面の自分について聞かれている実感があるのと、質問に機械的に答えていく過程によって「そもそもただのテストである」と強く認識させられるからだ。

人が人をカテゴライズするって、嫌な行為だなぁと思う。
自分もやってしまわないように、気をつけよう。




最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。