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期待するのを、やめた

あなたは、誰かに期待を覚えたことはありますか?
私はありました。

このnoteを始めた当初から覚悟はしていたのですが、私の目的(最初の記事参照)を果たすには書かなければいけない事が山ほどありまして(笑)
その話ばかりを定期的に継続するのも今の私には難しいだろうと考えたので、小休止ということで少しここで自分の思考を記していこうと思います。

今まで20数年生きてきた中で、沢山の人に受けた行為があります。仲の良かった友人、親友、幼馴染み、そして親。全て、近しい人達に。
所謂「裏切られた」ってやつです。何を大それたことを…と思うかもしれませんが、案外大きな裏切りばかりでして。

親に「私に金を貸した」と嘘の連絡をして、金銭を騙し取った友人。

私が親に黙って自力で追いかけていた夢を全て壊して、借金を背負わせた幼馴染み。

何度も何度も私に嘘をつき、最終的には悪者に仕立て上げた友人。

そして、私の事を一番大切にしてくれる人を選びたいと言っていたのに、ずっと私に隠し事をしながら一番傷付ける人間を選んだ母親。

人間なんて、結局自分が一番可愛いのです。そんな事は私も分かっています。けれど裏切られてしまうのは、どうしても傷付く。誰も信じられなくなっていってしまいます。

そもそもどうして、裏切られた事で傷付いてしまうのか。

それは私が相手に対して「期待している」からでした。

この人は私に対して、優しくしてくれるだろうか。
何か困った時に、力になってくれるのだろうか。
自分の味方でいてくれるだろうか。

そんな期待が、裏切りを受けた時の傷を更に深くしている原因でした。私は無意識のうちに、近しい誰かに期待を抱いていたのです。
それに気付いた私は、期待するのをやめました。
誰かに期待したり、力になってもらえるかもと思うのを一切やめました。そうするだけで冷静に、悪くいえばドライに物事や人間関係を考えられるようになったように感じます。

うつを患うまでの私は、悲観的に物事を考えるのが大嫌いでした(今も嫌いで、自己嫌悪に陥ることはありますが)。なので無意識のうちに、近くにいる人を信用しきって期待していたのかもしれません。

人を信じること、期待することが悪い事だとは決して思っていません。むしろ、とても素敵な事です。ですからこれはあくまで、私の個人的な処世術のようなものだと考えています。

纏まりの無い話になってしまって申し訳ありませんが、最後に一つだけ言えることがあります。

期待を抱くのは素敵なことですが、
「私はこれだけしてあげたから、この人は…」
と、見返りを求めるような期待の仕方はお勧めしません。

誰かに何かをする時は、基本的に何も返ってこないものだと考えた方が楽になります。

そもそも「○○してあげる」という考え方が、私は好きではありません。

「この人に○○したいから、する」
これじゃあ駄目なんですかね。どうなんでしょうね。

人に期待しない。悲しい事かもしれませんが、私にとってはこれが知恵です。


それでは、おやすみなさい。

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