やらないという選択肢

仕事、家事、人との交流。
生きていくためにしなければいけないことは、案外山積みですよね。
ただ、それらを細分化したときに「自分がやらないといけない」と
思ってしまっていることはありませんか。

仕事の中でも作業の種類は沢山あって、例えばAからDまであるとします。
そうすると大抵の人は
「AからBまでやって、あとはほかの人にお願いしよう」
となるはずなのですが、
私やうつ病にかかりやすい「完璧主義」型の人は
「AからDまで全部自力でやらなくては」
となってしまいがちです。
そしてタスクをすべてこなしたとしても、細かい部分で完璧にできなかったことを悔やんで自分を褒められなくなり、自信を喪失したり自己嫌悪に陥ったりしてしまいます。
そうして知らない間に、自分を追い込んでしまうのです。

自分はうつ病になってからようやく、その思考の癖に気づきました。
それと同時に「やらないという選択肢」を選ぶことも学びました。
一つや二つこなせないことがあったとしても、案外世の中も自分も周囲も変わらないものです。
人間のキャパシティにはそれぞれ限界がありますから、抱えきれないことはやらなくてもいいのです。誰かに任せていいんです。それは悪いことではないし、変な話「自分の代わりは沢山いる」のですから。
ただそれは自分の価値が低いとかそういう話ではなくて、誰かとこなすことは大抵の場合「自分じゃなくてもできること」なんです。

つまり「自分じゃなければできないようなこと」を常に最重要事項に置いておいて、他は無理のない仕事量や作業量、活動量でこなしていくといいのではないかなという話です。
結局誰とどれほど何をしても自分の人生は自分のものだし、何よりその内容を一番よく知っているのは自分自身です。

そして案外周囲やほかの人たちは、自分のことなんてそこまでよく見ていません(笑)
人間なんてこの世に沢山いますし、ただでさえ集団の中にいる人間が一人を注視するなんてことはまず不可能ですから。

やらないということは悪ではなく、選択の一つです。
やる方が格好良いと思われがちですが、所謂「できる人」というのは
うまーく「やらない」部分を選んで生きている人たちだったりするものなんですよね。

さて、自分は今日何をやって何をやらないでおこうかな。
「今日はいいや!やーらない!」
これ、結構気持ちいいですよ(笑)

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