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庭ぐらしダイアリー time for tea

本日、お茶を習いに行ってきました。
まだまだ習いたてですが、どこかゆったりしているお茶がなんだか好きです。お茶とは不思議な縁があります。

・わたしのひいおじいちゃんがお茶を嗜んでいて、家に道具があったこと
・「庭」から広がってお茶にわたしが興味を持ったこと
・たまたまみていた雑誌とわたしの地元の先生が同じ流派なのを知ったこと
・わたしが地元に帰ってきたこと

いろんなことが交錯して、お茶の稽古に行くことができると思うと、感慨深いものですね。

自分が昔剣道をしていたこともあって、稽古というものが好きです。
「道」とつくものに共通することだと思うのですが、必ず相手がいて、自分の稽古ができます。
どちらが強いか、どちらがうまいかというのはあまり重要ではなくて、前回の自分を超えるために稽古するのが、「稽古」なんじゃないかとわたしは思っています。

今思うと学生時代は贅沢に稽古させてもらっていたんだなあ、、、としみじみ。
謙虚に、大切に、一つ一つ稽古する。(そしてそれが難しかったりする)
同じことのように見えて、小さないくつもの変化を見つけながら、自分で道を造っていく。
そんなふうに思いました。

学生時代に剣道を習っていたときは、速さと技の正確さを上げるために、毎日竹刀をふっていました。
しかし、先生方のレベル(段が上になっていくにつれて)になると、速さではなく、重厚感みたいなもの、ひとつひとつの丁寧さ、気迫など、上がるとは違う、広がりを感じました。
司馬遼太郎さんの小説、「竜馬がゆく」のなかで、竜馬が師匠と手合わせするときに「速さは負けないが、気力では負ける」と勝負がつく前に降参した話がありました。人間の強さとは、物理的な強さだけでなく、それを支える精神的な強さがモノをいうのかもしれません。

今回1ヶ月ぶりに茶道の稽古をさせてもらいましたが、前回よりも劣っているかもしれない、もう少し練習しておけばよかったか、と一瞬よぎりましたが、昔と違うのは、すぐに「まあ、いいか」が出ることです。
真面目にやることは大事ですが、全てに「こうしないといけない」とラベルをつけるのではなく、長い目でみて、もう少し先にどうにかなってればいいか、今できることからやろう、そんな気持ちです。

変に気負わず、まずは一杯のお茶を、ゆったりとした心持で始めること。
できない日があっても、しょうがないと流して、今できることをやること。
そうして、自分を育てていくこと、道を歩いていくこと。
季節を感じて、思い切り生きていくこと。
新しいことを知り、体が覚えるように何度も繰り返すこと。
形をまずは完成させることを目指すこと。

そんなふうに感じた時間でした。
いつもいつも同じようにはいられないけれど、できるだけいつでも、お茶を前にして、それに集中すること。
まだまだ先は長い。
わたしのお茶の道は続いていきます。

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