見出し画像

「話の腰を折られると不快」なことがまったく理解されない人へ、腰折られが大嫌いなおれはここにいる

人に、話の腰を折られて気分が悪くならない人はいないと思うが、「話の腰折り、腰折られ」にもパターンがある。

自分がいちばん不快なのは、
「会話の流れで、会話と関係ないところで相手が何かのツボに入って、一人で大爆笑」
というものだ。

会話の中での自分の勘違いに、恥ずかしくなって面白くなって大笑い、とか。

目の前の私が共有できることでもない。つまんないことね。
浅草を浅草橋と間違えていたとか、そんな話。
もちろん「間違えて本当に行っちゃった」とかじゃなくて、その場の会話のみでのこと。

こういうのに、私は他人が観ても驚くくらい機嫌が悪くなるらしい。
私も、どうでもいいのんびりした会話の中でならなんとも思わないが、こちらがかなり前のめりなって話をしているとき、これをやられると、本当に目の前が真っ暗になるくらい気分が悪くなる。

はっきり怒りを表明してしまったこともある。

こっちが前のめりで会話をしているとき。たとえば「映画『RRR』を観た直後で、『面白いからおすすめだよ!!』と言っているとき」、相手が、
「RRRはインド映画ではなくアメリカの映画だと思い込んでいた」ということに自分の中でツボが入り、大爆笑、私の熱のこもった「RRR」おススメ語りがバッツリとそこで中断される。

あくまでたとえだが、こういうの、本当にやめてほしい。

思い起こせば、こういうことで過去に何度か、対人関係のトラブルにまで発展した。
自問自答すると、子供のころから、自分は「ぞんざいに扱われること」、「無視されること」に敏感で、ずっとそのことは覚えている。

「周囲がチヤホヤしてほしい」という願望は、子供の頃からあまりない。
ただし、無視される、いいかげんに扱われると本当にキツい。

具体的に言うと、大人になってからだが「コピー誌に使うイラストを描いてくれ」と同人仲間に頼まれたとき。
コンビニで私が描いてきたイラストをそいつがコピーしたら、目の前で私のイラストをコピー機の近くのゴミ箱に、パッと捨てられた。
(さすがに文句を言ったが、そんなことをするやつは当然「なんで怒られるのだろう」という顔をして反省の色もない)。

でもこの話をすると「自作のイラストを目の前で捨てるなんてひどい」とみんな言う。もちろんそこも問題だが、そもそも「私のイラストなんかどうでもいい」と思って相手が依頼しているから、腹が立つんだよ。

要するに私はイラストを捨てられる前から、そいつに軽んじられているんだよ。

そもそも「会話の中で、自分の言い間違いや勘違いに大爆笑」しているということは、会話の相手の話を半分しか聞いていないからだ。
「この場の会話なんてどうでもいい」と思っているから、注意力が散漫になって言い間違えや勘違いも起こるし、照れ隠しで笑おうとするのは、もともと話題の趣旨自体を軽んじているからだ。

しかし、この「耐えがたい不快さ」について話すと、ほとんどの人が変な顔をする。とても理解できない、みたいな。

なぜみんな理解してくれないのだろうか。

おしまい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?