ペラノ

ピアノを買った。後悔はしていない。むしろウェルカム。マジ好き。推しと同じくらい好き。推しの画像眺めながら推しの曲弾けるとか最高過ぎる。

私の住まいは防音ブラック企業物件なので、場所を取らずイヤホンが差せるロールアップピアノを選んだ。予想以上のペラペラ具合だったので「ペラノ」と呼んでいる。箱から開けてすぐに線を繋いで触ってみると、私の知っている固く重みのある鍵盤の感触、そこから飛び出て空間の中にはじけ飛んでいくピアノの音とはちがった。うなぎのかば焼きとうなぎのかば焼きもどきくらい違った。プチプチと無限プチプチくらい違った。鼻セレブと無料配布のポケットティッシュくらい違った。

それでもよかった。小さい頃から物欲ほぼゼロの私が唯一せがんでせがみまくっても買ってもらえなかった、バイト代を貯めて買おうとしたら大けがして治療費に流れ買えなかった、初任給で買おうとしたら一人暮らしの引っ越し代に溶けて買えなかった。逃し続けた代物・ピアノがようやく私のもとにやって来た事実は事実なのだから。

楽器はズブの素人で、最初は十八番である猫ふんじゃったを弾いてニヤニヤしていたが、いじっているうちに好きな曲のサビのメロディラインが耳コピできて完全に嵌った。昼間に解禁して、一曲弾けるようになったところで深夜2時になっていた。ペラノにあう机やテーブルが無くて床に広げて弾いていたため、首と腰が悲鳴を上げた。

こんな時のために買い込んでおいた湿布を全身に貼りつつ、言葉のない時間を過ごして、普段とは違う充実感で満たされていた。たくさんの言葉や文字が私のことを救ってくれると強く感じるけれど、言葉にするのがもどかしいと思うこともある。それに、自粛生活になってからSNSやニュース、本など目にすることが以前よりも何となくしんどくなってきた。コロナの情報じゃない、普通の出来事でさえ、なんだかお腹いっぱい。はいはい分かりました、って素直に流そうとしても、うっとおしいと思ってしまうこともある。

人はなかなか死なないけれど、割と簡単に萎れてしまうと思う。ヘニャヘニャになって枯れるだけならまだしも、放っておくと腐り始めて周りまで感染して共倒れすることもあるからやっかいだ。「不要不急」の名のもとに、いろんなものが絶たれていく、こういうご時世だから余計そう思う。

一つずつの音を見つけ、重ねていくたびに、ぐったりしていた気分が徐々に正気を取り戻していく。好奇心が突き動かされて自分の内側が波打っている感覚がする。こういう興奮を味わったのは、推しのライブ以来じゃないか。私は本も映画もSNSも大好きだと思ってた。むしろ言葉がないことが不安で依存していたけど、言葉の無い世界も素敵。

ペラノがもう少し上達したら、推しの一番好きな曲をコピーしてみよう。推しは崇める対象であり、まねする対象になるなんて。長年の推しライフでも初の試みよ!


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