001 「ぼく」について
ぼくは普段、ソフトウェアの会社に勤めていて、その傍ら"teshnakamura"という芸名で、ジェネラティヴ・アーティストとして創作活動をしている。ぼくの作品はInstagramで観ることができる。このnoteのヘッダや、毎日の見出し画像もぼくの作品だ。
「ジェネラティヴ・アート」が何なのか、ということについてはまたおいおい書くとして、今回はぼくが「(ジェネラティヴ)アーティスト」と名乗るに至った経緯を書こうと思う。
ぼくは大学、大学院とも建築を専攻していた。建築学科は大きく、「構造系」と「計画系」に分かれているのだが、僕は「計画系」と呼ばれる分類の中のさらに細くは「意匠」というのを専攻していた。要するに「建築デザイン」のことだ。
ぼくはその「建築意匠」の研究室で人工知能(AI)を研究していた。今流行りのやつだ。ただ、ぼくが大学院で研究していたのはいまから20年以上前のことなので、今ほどAIが騒がれていなかったし、建築学科で人工知能を研究していたのは、当時、日本では多分僕だけだったと思う。
「なぜ建築デザインの研究で人工知能?」と思われるかも知れない。実際にぼくが建築デザインの研究室で人工知能を研究していたことを言うと、だいたい「なんで?」と聞き返される。
ぼくが当時、研究の最終目標としていたのは「人工知能にデザインをさせる」ということで、これは未だに達成されてはいないが、最近のAIブームで、当時よりも技術がかなり進んだ、ということもあって、また当時やろうとしていたことをやってみよう、という気にはなっている。
その後、わけあって大学院は博士課程の単位を取って退学した。つまり博士号は取っていない。
ところでぼくは、大学院のさらに前、学部生のころから、コンピューターのプログラミングで絵を描く、ということをずっとしている。さらには大学院での研究の中で学んだ「人工生命」というものをゲームにしてインターネットで公開する、ということもやってきた。これもまたぼくにとってはアート活動のつもりだった。
そしてぼくはコンピューターの道(今で言うと「IT系」というのかも知れない)に進んだ。
生活のための仕事としてIT系でエンジニアをやりながら、ライフワークとして自分の作品を創っている。ぼくの創作のテーマは「作家(=ぼく)の手を動かさないこと」というものだ。
PhotoShopやIllustrator等を使って「お絵描き」するのではなく、プログラミングだけで何かを描く、ということをやっている。もちろん、プログラミングをする際にはキーボードでコードを書くために手を動かすけど。
ぼくの作品は「絵」や「動画」だけではなく、コンピューターで創り出せるあらゆるものが何らかの問題を提起しうるものであれば作品として成り立つと思っている。たとえば「スパイたちに告ぐ」という2016年に創った作品。これは当時、北朝鮮が10年ぶりに乱数放送を再開した、というニュースに刺激されて創ったものだ。乱数表をネットで配布し、毎日ランダムに選んだ言葉を乱数でTwitterに投稿する、というもの。そこで投稿される言葉は意味のないひらがな数文字の羅列を乱数にしたもので、それを読み解いたとしても意味のない言葉が出てくるだけのものだ。これを毎日プログラムが自動的に投稿していた。
これは明らかに「美しいだろ」というアートではないし、「アートだぜ、オシャレだぜ、うぇーい」というものでもない。これをアートと呼ばない、ということであればぼくはそれでもいいと思っている。要するにぼくはアーティストではない、というだけのことだ。アートそのものに執着しているわけではなく、ぼくはただ、コンピューターを使ってものを創り続けている、というだけのことだ。手を動かさずに。
そしてぼくのやっていることが「アートではない」とはっきりするまではとりあえずは、わかりやすく「アーティスト」と名乗ることにした、というわけだ。
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