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その子を見てますか?

我が家の次男

私の下の息子は年中です。保育園のクラスで唯一まだおむつです。夜だけでなく、昼もです。トイレでおしっこができません。正確には、出る感覚は分かっているっぽいけれど、おむつが楽だからおむつでしているのだと思います。

さて、読者のみなさんはどうお感じになったでしょうか。
 
「え、年中でまだおむつ?」「小学校はどうするの?」「とりあえずパンツにして気持ち悪いっていう感覚を味わわせなきゃ」
 
そういった感想をおもちになったのではないでしょうか。
 
なかには私の過去の記事などで、次男が発達障がいをもっていることを知っている方は、「まあしょうがないよね」とお思いかもしれません。
 
前者の感想をもった読者の方は、次男を年中なのにまだおむつをはく子と認識しているはずです。後者の感想をもった方は、次男を発達障がいをもつ年中でおむつをはく子として認識していると思います。次男に会ったことがないので、当然だと思います。
 
何が言いたいのかというと、次男を知らないと、次男を固有の人ではなく抽象化して認識するしかないということです。そしてそういった表現で認識すると、その表現から考えられる一般的な対策しかでてきません。それが「とりあえずパンツにして気持ち悪いっていう感覚を味わわせなきゃ」です。
 
私も様々なところに相談しました。そして、そのたびに言われました、この対策法。声を大にして言いたい。「それができないから相談しているんです!!!!!」
 
それが2カ月前の状態でした。そして今、次男は一日に3回ほどはトイレでできるようになりました。保育園でもできるときもあるそうです。
 
私が考えた対策法は、今回伝えたいことが違うので詳細は書きませんが、発達障がいをもつ年中のおむつの子の全員に効く方法ではありません。次男には効いた方法です。
 
それは、次男の性格、好み、行動パターン、生活リズム、園での様子、家での様子などを鑑みて考えたものです。気になります?笑。
 
とにもかくにも伝えたいことは、私は目の前にいる次男に合わせた対策を考えたから、うまくいったということです

中2の3月


さて、3月です。私の勤務する中学校では卒業式も終わり、中3はもう学校にいません。進路が決まり、高校への期待や不安を抱えながらも、解放感たっぷりと過ごしていることでしょう。
 
しかし、一年前は違いました。受験を意識せざるをえなく、成績や進路について、先生からも親からもプレッシャーをかけられていたことでしょう。
 
私は教室に入ることができない子たちの支援員をしていて、生徒の居場所をつくることが仕事です。その子たちは教室で授業を受けられないので、勉強は遅れていますし、今後どこまで追いつけるかも不安です。出席日数のことも気にしなければいけません。
 
担任の先生も不安です。進路はどうするのか。勉強はどこまでできるのか。様々な会議でも話題になるので、他の先生からもどうするのかと言われます。
 
そして、その不安は親御さんへも影響します。当然、わが子の進路は心配です。そこへプレッシャーをかけられた担任の先生からのプレッシャー。「お子さんの進路はどうしますか?もう中2の終わりなので、そろそろ考えて動き出さないと・・・」。学校の先生からいわれるもんだから、余計に焦ります。「なんとかさせなきゃ。」
 
そんなぱんぱんに膨れ上がったプレッシャーをもつ親御さんから生徒本人はプレッシャーを受けます。考えただけでも吐きそうです。やらなきゃいけないとわかっているけどやれない。そんな自分を責め、自分自身で一番のプレッシャーをかけます。
 
そんな自分自身を責め続ける子たちの側に居続けた私の感想は「その子を見てください」でした。理由は「生徒が抽象化しているから」。
 
「2年生の3月だから、そろそろ高校のことを考えなきゃ」
「今の成績だとその高校は難しいから、もうちょっと頑張らないと・・・」
「勉強の習慣がないと苦しいから、30分でも勉強しよう」
 
そんなことを言われていたのを聞きました。
 
反論の余地は正直ありません。正論ですし、どの生徒にも当てはまることです。が、逆に言えば、その生徒だけの点もありません。

時期、成績、勉強時間。客観的な事実だけでは、対策は考えられません。安心感、希望、情熱、好み、習慣、才能、などの心理的側面も含めて初めて対策ができると思うのです。
 
先生や親御さんの頭の中は、目の前の〇〇という固有の存在ではなく、①志望校の決まっていない中2年の子。②志望校の偏差値と現在の成績があっていない子。③ほとんど勉強していない子な、気がします。
 
そんな感じがしただけなので、違うかもしれません。そういった時期に、その話しかしないから、そう感じただけです。もし違っていたら、心よりすみませんです。

一人一人にあった教育

 
大分、社会にも浸透した教育語。個別最適な学びとも表されることも多いです。タブレット導入に伴い、急速に広がりました。
 
家庭教師を代表するように個別教育はもとからありました。というか教育の始まりは個別からでしょう。いやいや、戦後の学校から異常に一斉教育が広がっただけで、教育はずっと基本個別だったのかもしれません。
 
本来の個別教育とは、その相手に合わせた教育です。成績、理解度に合わせた教育。足し算・引き算が分からないのに、割り算の授業は意味をなしません。
 
さらに性格、思考のくせなどの個性にも合わせた教育
 
さらにさらにそれだけではなく、心理状態も含めた教育。つまり、同じ人でも状態によって、教育の仕方を変えるということ。みなさんも自然とやっているはず。
 
元気な時と落ちている時。最近調子がいい時と悪い時。余裕があるときと焦っている時。人間関係が良好な時と上手くいっていないとき。未来に希望をもっている時と過去に絶望している時。それぞれ声のかけ方、比喩の選択、行う量などを変えると思います。
 
一人一人に合わせた教育とは、単なる時期や成績でふるい分ける教育ではなく、目の前の子どもの成績・理解度、個性、心理状態で方法を変える教育だと思うのです。
 
だからこそ、日頃からのコミュニケーションや信頼関係がとても大切になります。教育のスタートは未来からの逆算ではなく、現状の理解から始まります。子どもを抽象化した思い込みの存在ではなく、実在する唯一無二の存在として意識したとき、初めて教育を語ってよいのではないでしょうか。
 
さて、目の前のお子さんはどんな状態ですか。
 
最後までお読みいただきありがとうございます。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。

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