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「ない」ではなく「ある」に気づくこと【#ゆたかさって何だろう】

どうも。書くンジャーズの西嶋です。

6月に入ったばかりですが、暑い日が続いていますね。最近は少し起きる時間を早めて走るように切り替えています。

ゆたかさって何だろう?

さて、早速ですが、今回のテーマは【ゆたかさって何だろう?】です。

皆さんは、ゆたかさって何だと思いますか?

僕は豊かさは「ない」ではなく「ある」ことに気づくことだと思います。

今回は具体的にどのようなことなのか、様々なエピソードを交えながら書いていきます。読んでいただく方にとって、ゆたかさに気づくキッカケになれば幸いです。

贈与に気づくこと

贈与とは何か?それは、僕らが必要としているのにお金では購入することのできないもののことを指します。

『世界は贈与でできている』という一冊では、その贈与について、様々なエピソードを交えて教えてくれました。

例えば、友人からのプレゼント。自分が購入したものであれば、壊れてしまったとしても、必要であればまた購入すればいいのですが、もらったものだと少し意味合いが変ってきますよね。

モノだけではありません。日常に溢れる情報や100年以上も前に書かれた書物も、文化も思想も僕たちは沢山の贈与をもらっているのです。

本書で紹介されているテルマエ・ロマエというマンガは、ローマ人がタイムスリップして現代日本に辿り着きます。その時に、僕たちが当たり前に感じているものに感動しまくるわけです。

その時に、これまで、文化を気づいてきた人の存在に出会い直すことができました。

見返りの求めなく与え続ける人は、そういった過去の人から受け継いだものに気づいて、返しているのかもしれません。

「電車2分遅れだ!困る」とできていないことに目を向けることは簡単です。でもそうじゃなくて、その技術のすばらしさに目を向けていくことがよっぽど素晴らしいことか。

僕が、歴史を知るのは、こういったギフト。贈与を自分から知りにいくためなのだと改めて認識することができました。そして、知ることによってゆたかになれると思いました。

感情があるということ

うしろめたさの人類学という本を読んだときに、すごく考えさせられた章がありました。

それは、物乞いにお金を与えるべきか?という話です。

僕は学生時代にカンボジアにボランティアに行ったのですが、そのときに沢山の物乞いをする子ども達と出会いました。

しかし、「与えるとどんどん欲しがるので、絶対に与えないでください」とアナウンスをされたので、うしろめたさを感じながら結局渡さなかったのですが、それに近い話が書かれていました。

日本人の多くは物乞いに「なにもあげない」ことを選ぶ。
エチオピアの人たちはよい物乞いにお金を渡している。きっと僕らのほうが豊かなのに、そんな金持ちの外国人が与えずに、あまりにもたないエチオピア人が分け与えている。その姿に、ふと気づかされる。
いかにぼくらが、「交換モード」に縛られているのかと。
今の日本の社会では、商品交換が幅を利かせている。さままざまなモノのやりとりが、しだいに交換のモードに繰り入れられてきた。それは、面倒な贈与を回避し、自分だけの利益を確保することを可能にする。
厄介な思いや感情に振り回されることもなくなる。
しかし、この交換は、人間の大切な能力を覆い隠してしまう。

本当は、渡したいと思って感情が動いている。そんな感情をきっとこれじゃあ彼らのためにならないとか正当化して感情を殺すことを意味づけてやめてしまっているのかもしれません。

コンビニで商品を購入するときに、大して心が動かないのに、大切な人からもらうと心が動くのはその贈与の作用が働いているわけなんです。

心が穏やかに在り続けること。ストレスがなく過ごせることはいいことでもあります。ただ、行き過ぎた便利さによって何かを失ってしまっているのかもしれないということに気づきたいと思いました。

伝えたい。誰かを愛したい。

思いっ切り泣きたい、叫びたい。そして喜びを分かち合いたい。

誰かに届けたい自分の心の動きを、開示できる人とのつながりがあることは、ゆたかさなのだと思います。

霊長類で人にもっとも近いと言われるゴリラは感情を読み取られないために、目にはほとんど白い部分がないそうです。

ただ、僕らは進化の過程で目の白い部分を大きくすることで、周りの人に感情をさらすことを選んだ。

そんな人にある大切な能力を失うことはもったいない。そう僕は思います。

ゆたかさを取り戻すためには

もしかしたら、そんなゆたかさを知らず知らずに失っていってしまっているのかもしれません。

じゃあどうすればいいのでしょうか?

僕は二つ改めてやっていきたいと思いました。

余裕をもった日常を心掛けること。

必要以上に詰め込まない。

ほっと一息を置いて、自分のそんな日常のなかで揺れ動く感情に気づくことです。

あとは、効率ばかりを追求するのではなく、いまここに集中したい。

例えば、誰かとカフェで話すことになったのであれば、その瞬間その人の対話を味わいたい。あとは、コーヒーの苦さや隠れた甘さを味わいたいと思うのです。

もう一つは、今の社会の構造をさまざまな場所の取り組みを見て、自分の今いる場所を再確認していくこと。

絶対いいなんて思わずに、もっと本や人と会った話すことを通じて、これからどんな社会が良いだろうか?と描いていきたい。

変えるのではなく、その社会を作ってきてくださったかたへの感謝の気持ちを忘れず、アップデートさせていく感じで。

皆さんにとってのゆたかさは何ですか?

よかったらぜひ今度ゆっくりカフェやランチしながらでも話しましょう。

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