希待という造語について
荒木さんのVoicyで『まとまらない言葉を生きる』について紹介されていた。
期待と希待
期待するということ。
その人のためを思って抱くように見えて、時にそうでないようなこともある。
この場合の期待は、重荷になってしまうのだ。
自分が別に臨んでいないのに、勝手に期待されて、そして勝手に失望されていたなんてことさえあるかもしれない。
相手の期待に応えたい気持ちと、本当にその物事に向かいたい気持ちは自分の気持ちはイコールだろうか。
病院や介護現場では、このような期待もあるのかもしれない。
すべてそんなにうまく揃うわけではないから、考えてしまう。
どういう状態が理想なのだろうか。
希待という造語
ここで紹介されていたのが希待だ。
この言葉は造語で、このように説明されていた。
きっと、人の生き方を見て、経験からこっちのほうがいいとか思うことはあるかもしれない。
そして、本当に無知で自分で考えた結果、残酷な結末が待っているなんてこともあるだろう。
それでも、ぼくは出来る限り、希待をしていけるような人でありたい。
以上です。ほんじゃーにー。
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