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人生にとって無駄なことと必要なこと
村上春樹さんbotで、人生には無駄なことって必要だと語られていた。
人生には無駄なことって必要なんです。最短距離を進んで、無駄のないことばかりしていたら、人間のこころはやせ細ってきます。
— 村上春樹のつぶやきbot (@EssentialWord1) June 24, 2024
わかるようで、まだ曖昧さが自分のなかに残っている。
無駄なことと、必要なこと
無駄なことがあるということは、対極に人生において優先順位の高いものがあるということになる。
「最短距離を進んで」というのは、例えば受験だったら成果につながるような問題を解きまくるということだろう。
日本史であれば、徳川家康がどんな人生を送ったのかよりも、代表的な戦や政策を覚えるかとか。
現文であれば、その文学の内容よりも、いかに最短距離で設問を理解して答えるかが必要なこととなる。
成果に結びつかないことが無駄なこと?
じゃあ、必要なこととは何か。
生きていくというために必要な衣食住を維持するための糧を得ることかもしれない。
そのために、受験でいうと合格したり、成約をしたり、売上をあげたり、手段がある。
数字にしやすいものでもありそうだ。
一方で漫画や小説を読んだり、誰かとカフェで話したり、とある正義とかいろんな問いに対して語ることは無駄と言われるかもしれない。
あとは、言葉の通り回り道をせずに、目的地にたどり着くだけの旅とか。仕事でいえば雑談をする時間というのは何も生んでいないものとしてみなされやすい。
ぼくは、いま書いた無駄と言われるものが必要だ。
衣食住など目に見えるものだけでなく、こころがよい状態であるために。
この無駄というのは、社会からみた無駄なのかもしれない。
人間の心はやせ細っていかないための遊びというものは、必要なものだと思う。
一般的にいわれる糧を蓄えたら無駄なことをするというよりは、並行しながら進めていきたい。
数字では決して計れないものを取り入れていく。
だから、やっていたらいけないものと扱われてしまわぬように、無駄なことという言葉ではない何かとして表せたらいいなと考えている。
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