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どうして歴史を学び続けるのか

昨日は深井さん著の『歴史思考』を題材に読書会を開催した。

コテンラジオは、Podcastを聴いている人であれば、一度はきっと聴いたことがあるだろう。

深井さん含めた3人のパーソナリティが歴史について楽しく話していく番組で、ぼくもベビーリスナーだ。

歴史を学生のころにしていた、暗記モノではなく、ストーリーとして知っていくことができる。

歴史を知ると楽になる

歴史思考では、歴史を知ると楽になると紹介されていた。

どうしてか。

それら、ぼくらが悩む一つの要因は、今の時代の社会にある当たり前が絶対的な価値観で自分が違うと思っているからだ。

価値観は絶対ではなく、場所や時代によって変わります。「家がある」とか「飲み水がいつでも手に入る」といった僕らの生活環境が当たり前ではないように、「人殺しはダメ」とか「体が弱い人には親切にしよう」といった僕らの価値観も当たり前ではありません。
歴史を知るというのは、こういうことです。決して退屈なお勉強ではなく、僕らの「当たり前」が、当たり前ではないことを理解するということなんです。
僕はそれを、「メタ認知」と呼んでいます。「メタ」は超えるという意味なので、「メタ認知」は今の自分を取り巻く状況を一歩引いて客観的に見る、といった意味です。

歴史思考

当たり前は常に変わっていく。

だから、誰かの当たり前に潰されそうになったら、我慢するではなく、別の選択肢を考えるのも一つかもと思える。

逆に自分の当たり前を疑って、相手に押し付けようとしまいそうになったときに、一歩立ち止まることができるかもしれない。

歴史を学び続ける理由

以前ほどの勝ちパターンがなくなっているいう話しを参加者が話されていた。

良い大学や企業に入れば安泰なんてものはない。

短期的によくても、逆転してしまうことなんてこともザラにある。

オタクと呼ばれていた人たちは気持ち悪い存在だったところから、一つのことを追求できる人たちだと敬いの目を向けられたり。

ゲームばかりをしている人たちは、将来ないと言われていたが、今はeスポーツやゲーム実況などで立派な仕事になっていたりもする。

予測できていた人なんていないんじゃないだろうか。

深井さんは、歴史についてXでこのように発信されていた。

いま、熱狂されていることや起きていることは、どうしてそうなったのか。

何か大半の人が嫌な状態に陥る前兆なものを知っておくことで、違和感として抱き、動けるかもしれない。

あと、ぼくは役に立つとか抜きにして、歴史を知ることは、ありがたさを感じる。

その時の、ある人の決断がなかったら、ぼくはいないかもしれない。

歴史というと、徳川家康とか紫式部とか有名な人の生きた時代をイメージするけど、いまこのときも歴史になっているし、家族や友人と過ごした時間もそうだと思う。

あのときに、あの人はなぜあんなことを言ったんだろうとか、どうして組織がその方向に進んでいったんだろうか?と問うこと。

そして、歴史のなかで似たことと比較することで、見えてくることもある。

まだ歴史を学ぶ理由は、これだというシンプルな一つの回答は持ち合わせていない。

だけど、こうかもしれないというものは、ちょっとずつ掴めてきたと思う。

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