天才丞相・軍師「諸葛孔明」のすごさと危うさ
先日、偉人講座という勉強会で三国志でも有名な諸葛孔明を学んでいきました。
今回は天才丞相(君主を補佐した最高位の官吏を指す。)の諸葛孔明のすごさ。そして、もっとこうしていれば良かったと思った部分を紹介していきます。
偉人講座とは
偉人講座とは、江戸時代とか近現代などの大まかな歴史の流れを暗記していくものではなく、1人の偉人の人生について3時間かけて学ぶ講座です。
偉人は、混迷を極めた後漢末期に生きた諸葛孔明。
ゲスト講師の深井さんによる時代背景と楊さんによる諸葛孔明がどんな人物だったのか?という視点で深めていきました。
あまりにも濃密な内容で3時間があっという間。
なぜ、曹操や孫堅と比べると圧倒的な差があった劉備を選んだのか?
どうやって劉備亡き後の絶望的な危機を乗り越えることができたのか?
そんな様々な謎に迫りました。
詳しくはcotenラジオでも講師のお二人が紹介されていますので、気になる方は動画をご覧ください。
諸葛孔明のすごさとは?
皆さんは、今回の諸葛孔明というとどのようなイメージを浮かべますか?
私は、軍師のイメージが強かったのですが、政治家としての孔明のリーダーシップや決断力などすごさや魅力を知ることができました。
孔明のすごさは、先見性。
様々な危機に対してどのように対処すべきかを自ら考えて、行動して、5人分ぐらいの動きをしていったのです。外交から国内政策まで一気に手掛けていきました。
過労死という言葉は、孔明が第一人者ではないかというぐらい働いたそうです。
孔明がいなければ、劉備という人物が名を残すこともありませんでした。
三国時代というものも、孔明が蜀を見出していたからこそ起こったもので功績は大きいですね。
三顧の礼という劉備が年下である孔明に会いに行き、そこから仲間に加えたことにより運命が変わったと言えるでしょう。
現代に例えると、GoogleやAppleという大企業に小さなベンチャーが挑むようなものだったみたいですよ。こう聞くといかにすごかったのかがわかります。
しかし、諸葛孔明がこの世を去ったあと、蜀という国は滅びの道に進みます。それはなぜだったのでしょうか?
任せることができなかった
人が育っていなかったのです。
原因は、孔明が任せられていなかったこと。どんな細かい仕事でも全て指示を出していたため。
孔明がやりすぎていた部分があまりにも多すぎて、孔明がいないと機能しなくなってしまったのです。
もしかしたら、孔明がやっていなかったらもっと早く滅びてしまっていたのかもしれません。それでも信じて任せるということができていたらと悔やまれるところです。
これは、今の組織でもいえることはないでしょうか。才能を信じて伸ばす。優秀な人からすれば、時間が掛かるので嫌なことかもしれません。
ただ、長い目で見れば、そのような関わり方がいつしか組織にとって必要だと思えるときがくるかもしれません。
歴史から考えさせられることは、ほんとに多いです。
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