見出し画像

なぜ働いていると本が読めなくなるのか

今日は4人で三宅香帆さん著『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を題材に話していった。

毎週日曜日に読書会しているメンバーなだけに、基本的に本は読んでいる。

ただ、そのなかでも読めなくなる時期やジャンルは出てくるという。

ぼくの場合は、仕事など優先でやらないといけないことがあり、それどころではなくなってしまうとき。

本を読んでも、すぐに役に立つビジネス本となってしまう。

決して悪いことではない。

だけど、心が疲れたまま日々が進んでしまうとしんどくなってしまう。

小説を読んでも内容が入ってこない。まさに、映画「花束みたいな恋」をしたの麦くん状態。

絹「読めばいいじゃん、息抜きぐらいすればいいじゃん」
麦「息抜きにならないんだよ、頭入んないんだよ。(スマホを示し)パズドラしかやる気しないの」
絹「……」
麦「でもさ、それは生活するためのことだからね。全然大変じゃないよ。(苦笑しながら)好きなこと活かせるとか、そういうのは人生舐めてるって考えちゃう」(坂元裕二『花束みたいな恋をした』)

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書)』三宅香帆著

ノイズを味わえるか

ビジネス本やGoogleで調べた情報は、忙しくても割と入ってくるのは、ノイズがないからだというのはすごく腑に落ちた。

本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がない、ということだ。自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは、余裕のなさゆえである。だから私たちは、働いていると、本が読めない。  
仕事以外の文脈を、取り入れる余裕がなくなるからだ。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書)』三宅香帆著

自分の関係ないものを受け入れられない。

その状態は、本だけの問題ではなく、人の話も聞けなくなっていくときでもあると思う。

本書では、全身のコミットメントではなく半身で働くことを推奨している。

だが本も読めない働き方――つまり全身のコミットメントは、楽だが、あやうい。  
なぜなら全身のコミットメントが長期化すれば、そこに待っているのは、鬱病であるからだ。それは今まで参照してきたとおり『疲労社会』や『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』といった先例が教えてくれている。過剰な自己搾取はどこかでメンタルヘルスを壊す。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書)』三宅香帆著

映画作品を早送りしたり、要点だけまとめたyoutubeに触れるということ。

悪いことではないが、それでは、やっぱり虚しさが湧いてくる。

あと小説など物語にケアされてきたからこそ、1日30分でも物語に触れていたい。

役に立つことも必要だけど、すぐに役に立たたないこと、さらには役に立つかどうかではない世界を味わっていきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?