発達障害者 自叙伝
未就学児
青葉モンテッソーリ 子どもの家
幼稚園に入る前に、2年間モンテッソーリ教育施設にいた。
物心ついたのはこのあたりだろう。
そこはモンテッソーリ教育をしているだけあって、とても自由な校風だった。
しかし、最初の2~3ヶ月はみんなの輪の中にはいることができず、親と一緒に小部屋にいて、そこから1歩も出ずに、みんなの様子を伺っているのだった。その頃、自閉スペクトラム症の症状はあったのかもしれない。
その頃から、母親の手を引っ張って自分の欲求を叶えるクレーン現象をしていたと母は言っている。
また、脱ぎ履きが楽だからという理由だけで、真夏でも長靴を履いていてた。
幼稚園
幼稚園は地元の教会を母体とするモンテッソーリ教育をしている幼稚園だった。年中から入った。
その幼稚園では必ず「お仕事」をしなければいけなかった。
そのお仕事というのは多種に渡っていて、編み物をしたり、豆を箸で摘んで運んだりするものだ。
大きなものだと、カレーを作ったり、大きな日本地図を作ったりした。
個人主義的な教育が僕には合っていたのだろう。僕はそこでみるみる成長していた。
ものを借りるにしても、
友達A「〇〇くん、△△貸して」
僕「□ちゃん、もう少し遊びたいから待っててね」
とお互い主張しながら、契約を結んだりするのだった。
友達と関わるというのは休み時間ぐらいで、代わりにお世話係があって、年長になると、それぞれ一人のお世話する子ができる。
具体的には、ごはんを一緒に食べたり、遠足の時に一緒に行動したりそう言ったことをする。
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