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新渡戸稲造と佐藤昌介(後編)【新渡戸講座】

盛岡市にある古本店「pono-books」では、2023年から毎月1回程度、新渡戸基金理事長の藤井茂先生による、新渡戸稲造について気軽に学ぶ「新渡戸講座」が開催されています。

そして、新渡戸講座は2024年にはセカンドシーズンを迎えました。

ここでは、その「新渡戸講座」の内容を中心に、稲造についての情報を掲載し、少しでも稲造について知っていただければと思っています。

前回の「新渡戸稲造と佐藤昌介(前編)」【新渡戸講座】」

に続いて、今回は「新渡戸稲造と佐藤昌介」の講座内容の後編の一部を、簡単に要約してご紹介します。

なお、10月の新渡戸講座は10月19日(土)の午前10時30分から開催されます。テーマは「新渡戸稲造と内村鑑三」(だったと記憶しています・・・汗)

少人数で、途中での質問も気軽にできる楽しい会ですので、ぜひ一度、実際に講座に参加してみてください。

詳しい内容などはpono-booksさんのインスタグラム等でお確かめください。

https://www.instagram.com/pono_books/

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それでは、以前に開催された「新渡戸講座」から「新渡戸稲造と佐藤昌介」の講座内容の後編を、簡単にまとめてご紹介します。

○ 新渡戸稲造と佐藤昌介

・ 佐藤昌介は若くして結婚したが、相手は、淡路の稲田藩のお姫様にあたる人物。

・ アメリカに留学した昌介が経済的に困窮した際には、原敬が新聞の原稿執筆を依頼し、経済的な援助を行った。

・ アメリカへ留学した新渡戸が、メアリー・エルキントンと出会ったことにより、二人は結婚したいと考えていたが、メアリーの実家は結婚に大反対だった。その後、メアリーの実家は、新渡戸が書いた「武士道」の評判が高まることによって、新渡戸に対する見方を、徐々に変えて行った。

・ 一方、新渡戸も、両親の死後に新渡戸を援助していた太田時敏に対し、メアリーとの結婚について赦しを乞う長い手紙を書くが、時敏も結婚に対して大反対だった。

・ 明治24年に二人が結婚した当時は両家に許されておらず、ほとんど駆け落ち同然の状態だった。

・ 日本への帰国後、新渡戸は札幌農学校に戻ったが、大学での教育以外にも、遠友夜学校を設立するなど、働きすぎの状態だった。一時期、新渡戸が農学校の教頭となり、昌介が校長、稲造が教頭という時代もあった。

・ 妻・メアリーも多忙な新渡戸に協力的で、新渡戸の支援を行なっていた。妻の家からも援助があり、エルキントン家の女中が亡くなった際には、その遺言で、遺産の一部が札幌へ送られてきた。それで遠友夜学校ができた。

・ 新渡戸は札幌農学校で6年間勤めた後、休養を取るためアメリカへ渡った。その際に武士道を執筆し、それが全米中の評判に繋がった。

・ 後に、新渡戸と同じ岩手出身の後藤新平が新渡戸の存在を見い出し、新渡戸は後藤から3度誘いの手紙を貰い、台湾へ赴任することとなった。徐々に、後藤新平との関係が深くなっている。結果的に、新渡戸は外国生活が長くなり、その経歴も多岐にわたり、終始一貫していない。

・ 一方、佐藤昌介は札幌農学校に入り、北海道帝国大学へと育て上げるという、終始一貫した生涯を送ることとなり、新渡戸と対照的だった。

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以上、本当に簡単に、「新渡戸稲造と佐藤昌介」の講座内容の後編の一部をご紹介しました。

今回のテーマとなった佐藤昌介は、岩手の花巻出身の偉人ですが、北海道、札幌、そして北海道大学で果たした大きな功績比べて、驚くほど知られていない印象があります(私の勝手な印象です)

昌介は、札幌農学校に1期生として入学してから札幌で亡くなるまでの約60年間にわたって、札幌農学校、北海道帝国大学、北海道大学などの拡大にとって最も重要な人物の一人であり続けました。

昌介は、その風格などから、農学校1期生の中でも“おとっつぁん”や“ファザー”などと呼ばれる中心人物の一人であり、その風格のままに、やがては指導者として、校長・総長などとして、晩年まで北大=北海道大学のリーダーとして活動しました。

現在でこそ、北海道唯一の旧帝国大学の一つとして、揺るぎない存在感を放っているようにも見える北大ですが、その歴史を見ると、いつ消滅してもおかしくない、危うい綱渡りの大学運営があった、ということが想像できる歴史を持っています。

そのような歴史の中で、時に、原敬のような、友人でもあり「時の権力者」でもある人物との人脈や、時に、クラークのように日本滞在が1年に満たなかった外国人教師のカリスマ性、時に、弟分のような存在で後に世界へと羽ばたく新渡戸稲造の能力などを力としながら、札幌農学校を半世紀以上も成長させ続けた昌介の能力には、底知れないものが感じられます。

現在でも、北海道大学正門近くの大学事務局の傍には、佐藤昌介の像が佇んでいますが、現在、そして、かつて北大に通った学生達のほとんどは、その像や、昌介の存在や功績を知らないのではないでしょうか。

そして、昌介の故郷である花巻、岩手でも、北大同様に、昌介の存在を知らない人が多いように感じます。

明治維新の戊辰戦争で叩きのめされた現在の岩手、当時の南部藩や伊達藩の人々が、当時、いわゆる「和人」と呼ばれる人々が2人しかいなかった札幌へとわたり、現在では人口が約200万人を数える大都市への発展の基礎を築いたという歴史は、大変に興味深く、学ぶべきことも多いのではないでしょうか。

北大の歴史の中でも、何かと忘れられないがちに見える昌介ですが、昌介抜きの北大の歴史はありえないように思え、今後もっと、その顕彰や研究、評価が進めば良いなと感じます。

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講座内容のご紹介からかなり脱線してしまい失礼しました(上記の内容は、講座内容とは関係ありません)。

盛岡市にある古本店「pono-books」で、2023年から毎月1回程度開催されている「新渡戸講座」はセカンドシーズンを迎え、参加者の方やご興味を持つ方が、回を重ねるごとに増えています。

このページをご覧いただき、今まで講座へ参加したことがなかった方にも、少しでも会の様子が伝わったでしょうか。


10月の新渡戸講座は10月19日(土)の午前10時30分から開催されます。テーマは「新渡戸稲造と内村鑑三」(だったと思います・・・汗)

ぜひ一度、実際に講座に参加してみてください。少人数で、途中での質問も気軽にできる楽しい会ですよ。

詳しい内容などはpono-booksさんのインスタグラムをご覧ください。

https://www.instagram.com/pono_books/

 

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