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宗教2世はみんなと違うと自覚した日

こんにちは、nitoです。
nitoが住んでいる地方では、
今日はすっきりとした青空。
遠くまでよく見渡せる冬の空です。

今日は、
私が自分が「宗教2世」であると自覚した幼少期の出来事について。

先日、宗教による被害者の救済新法が可決されました。
私は今話題になっている「あの」宗教の2世ではなく、
献金問題で被害を受けたことはないため、
同じ宗教2世でも、どこか他人事、として受け取ってしまっています。
もちろん前例のないスピード感で法整備されたことは本当に良かったと思っています。
ただ、お金の問題ではなく、
心を健康に育てることができずに苦しんだ宗教2世たちも、
いつか救われる日が来ることを心から願っています。

私は4人兄妹の末っ子として生まれ、
生まれたときには母は入信済み、
物心がつく前から宗教活動に参加させられていました。
小さい時の写真には、
「王国会館」と呼ばれる集会所や、
「伝道活動」と呼ばれる宣教活動中の写真が多く、
近所の友達と遊んでいる写真などはほとんどありません。

同居していた父と、母方の祖母は入信しておらず、
週に3回の集会には、母と兄達と私だけで通っていました。

幼稚園にも保育園にも通わなかった私が、
家族以外の人と会話をするのは宗教活動の場のみで、
小学校に入るまで、とても小さなコミュニティの中で生活していました。
そう、小学校に入学するまで、
他のみんなと違う環境で生活していることを知りませんでした。

入学して1か月後、私はクラスメイトと違うらしいと自覚する出来事がありました。
それは母の日のことです。
図工の時間に、お母さんの似顔絵を描き、折り紙でカーネーションを折りました。幼稚園に通っていない私にはとても新鮮で、大好きな母が喜んでくれることを楽しみに一生懸命母の顔を描きました。

下校し、真っ先に母に絵とカーネーションをプレゼントしました。
「今日ね、学校でつくったの!おかあさんありがとう!」

それを見た母の表情はみるみるうちに曇り、
「こんなもの作っちゃいけません!」と、
目の前でゴミ箱へ捨てられてしまいました。

母の信仰している宗教では、
神様と、その息子であるイエス・キリスト以外を崇める行為は悪です。
お誕生日も祝ってもらったことはありません。
母の日も、父の日も、敬老の日も、人間を崇める行為は悪。
母からすれば、とても筋の通った行動だったのだと思います。
でも、小学校1年生の私は、
その場で立ちすくみ、深く深く傷つきました。

これが、私が「宗教」というものを理解し、
クラスメイトと私は違う世界に生きていると自認させられた出来事です。

この、わたしは「普通じゃない」という感覚は、
38歳になり脱会してから16年経った今でも私を苦しめています。

宗教2世という存在にスポットが当たり、
現在進行形で心を傷つけられている世界中の子供たちが、
自分の意志で、自分らしく生きていけることを願ってやみません。

今日はすこし重いテーマになってしまいましたね…。
最後まで読んでくださりありがとうございます。

今日の空みたいに、
すっきりとした気持ちで一日過ごせますように。

ありがとうございました。

nito






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