見出し画像

人間の自己家畜化とそれに抗う二つの要素

人間の自己家畜化についてまとめたものがありました。

人間の自己家畜化についてはもうかなり言い尽くしてきましたが、その他の知見も生かして考えるとより広く見えてきます。

それは何かといえば、

1.いわゆる「働かないアリ」のように、自然発生的に野生化する個体が生まれる。

2.人間は認識によって自らを変え、それによって遺伝子を変化させることができる。

ということです。

===============

まず1について。

いわゆる働かないアリに関する実験やシミュレーションなどによる研究で明らかにされているように、生命体には個体間で「グラデーション」が存在し、社畜100%になるようにえりすぐっても、また「2:6:2の法則」に従い、社畜100%の中からニートアリが出てきます。

また、本能的にプログラムされたアリのような生物でも、いわゆる「はみ出し者」が存在し、その非効率極まりないはみ出し者が、新しいエサ場や近道のルートを発見するなど、全体として見た場合に種の繁栄に寄与するという存在が出現します。

ここから考えますと、人間も「認識」というものによって大きく個性化の方向に歪んだ生命体ではあるものの、生物的な側面から言えば同じことが起こり得ます。

その一つの例として、戦争における人間の心理について研究したアメリカ陸軍のデーヴ・グロスマン中佐の研究をまとめた『戦争における「人殺し」の心理学』があります。

本書では、さまざまな観察結果や実験結果がまとめられていますが、その一つに

「どの社会においても、殺人行為=戦闘の心理的ハードルを下げる軍事訓練をしていないにもかかわらず、殺人に対する心理的抵抗の低い個体が2%程度存在する」

というのがあります。

本書では統計的アプローチを用いて、第二次世界大戦では米軍歩兵は10~15%の兵士しか発砲しておらず、少なくとも近代社会においては兵士は殺傷を忌避する性質を持つと考えられています。

そしてその対策として、発砲=殺人行為への心理的ハードルを下げる訓練が開発されることになり、朝鮮戦争時には発砲率が50%前後、ベトナム戦争時では95%に向上することになりました。

しかし本書ではこの話に対するカウンターテーゼとして、そういった殺人へのハードルを下げる心理的訓練を受けていない人間でも、殺人行為=戦闘行為を何のためらいもなく実行できる心理的傾向のある人間が、いかなる社会においても2%程度は存在するということも提示しています。

つまり、自然発生的ないし自然成長的なレベルであっても、いわゆる「野生的」、殺人を始めとしてルールを守る気がそもそもない、ルール違反を違反とも思わない「はみ出し者アリ」のような個体が発生するということです。

それがアリだけでなく、高度に自己家畜化された現代の人間社会においてもみられるという事実が存在するということ。

すなわち、家畜的な個体を交配させてより従順な個体を生み出しても、再び野性的な個体が発生するということです。

===============

つぎに2について。

長らく遺伝子は不変であるということが信じられてきましたが、そうではないということが論理としては当然ながら、事実としても観測されるようになってきました。

最も卑近な例でいえばアスリートの家系で、3~4代同じ競技を続けた家系は、その競技に適合した肉体を持つ個体が生まれるという事実が観測されます。

つまり、競技をし続けることで、徐々に遺伝子がその競技に向く肉体となるように変化してきたということを意味します。

特に人間の場合、本能が限りなく薄れて認識によって心身が統括される存在となったため、認識に基づく強制的な行動を取り続けることで、心身の個体差も大きく幅が出るようになりました。

つまり、人間の生物的特殊性として、認識いかんで家畜化にドライブがかかることもあれば、反対に家畜化に抗う野生化の方向へ向くことも可能であり、そういった「労働」によって自己疎外した(分身を創る)結果、認識に統括された自らの行為によって自らを作り変えていく=遺伝子を改変することができるようになったということです。

このことから、例えば一度家畜化した犬が狼に戻れないのとは逆に、人間の場合は自らの認識を野生的なものとして作り直し、それに基づく行動を取り続けることで、みずからを野生化させることがしやすいということです。

そして家畜化とは逆に、そういった野生の方向に向かう個体間で繁殖が進むことにより、より野生的な方向へと回帰していくことができるでしょう。

だからこそ、そういった野生化した個体が野生的に生存できる、社会から相対的に独立した小社会=武道修行・自給自足共同体を創ることの意味、意義もここから生じてくると言えます。

というのも、人間は社会的な動物であり、社会からの影響を非常に強く受けるため、野生的な個体が社会に点在しても家畜的社会に再び染まるか、社会から抹殺されるかのどちらかになるからです。

なので、野生的な個体が野生の原理を保ち生存するためには、家畜的な社会一般と個体との間に媒介となる小社会を創出することが必要=野生的に生きることを可能としながらも社会一般とはそれなりのつながりを持ち、家畜的社会一般による野生的個体の排除を阻止するための環境が必要になる、ということです。

そういった野生の原理で生きていける環境が自然発生的にできたものが、インドシナ半島高原地帯にあるゾミアであり、カリブ海のマルーン共同体であり、です。

なので、今度はそういった野生の原理で生きられる環境を目的意識的、人為的に創り出すというのが、私のライフワークの一つでもあります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?