見出し画像

繰り返される社会:インディアン社会と現代の奇妙な類似について

『万物の黎明』の読破もそろそろ終盤に差し掛かっている。

最終章の一つ手前で、インディアン社会の「大都市」カホキアの生成衰退について描かれたところは、極めて興味深い。

というのも、カホキア以前からカホキア崩壊までの経過が、近代の出発から(まさに近代の終末としての)現代に至るまでの過程に極めて類似している。

歴史は大きなサイクルがあるというよりも、小さなサイクルが何度も何度も、時や場所を変えて繰り返されていると言えるかもしれない。

インディアン社会などは通俗的には「無垢なる自然の、未開人の社会」と認識されてきているが、しかし考古学や人類学の知見からは、極めて政治的に自覚的な人々によって構成されていた社会であったことが分かっている。

これらは何を意味しているのか?

まとめると、生成発展、衰退滅亡までのいくつもの小さなサイクルを何度も繰り返した結果として、極めて高度に自覚的(ヘーゲル哲学的に言えば「即かつ対自的」)な政治的認識が形成されたということではないか。

まだ本書の最後の結論までは読んでいないが、近代国家一般、あるいは現代日本、そして東京をはじめとした大都市の今後の命運について、それなりの時を経て形成され、そして突如として崩壊して廃墟と化し、その後ヨーロッパ人の侵略を経て現代に至るまで一度も復興することなく廃墟のままであったインディアンの大都市カホキアは、極めて示唆的な事例であるように思える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?