ep.10 日記 友達ではない幼馴染と久々の読書


7月14日(日)
三連休の真ん中。幼馴染と会う。ここで明確に幼馴染と表記しているのは、自分の中では友達と明確に区分されているから。

自分の感覚だと幼馴染は友達よりもいとこに近い。会いたい会いたくない、好き嫌い関係なく細い縁が繋がってる関係。わたしのことなんて友達よりも知らないだろうけれど、結婚式には呼ぶし呼ばれるような関係。


そんな幼馴染と会うたび、なんだかモヤモヤした気持ちを抱えたまま別れることが多い。そして今日も変わらず、話すにつれてどうしても合わないという思いがむくむくと膨れ上がった。


思えば中高生の頃からこの感覚が続いてる。今でも明確に覚えているのが、通勤時のバスで聞いた「クラス全員が友達じゃん」と言う発言。耳を疑った。


自分はクラス全員が友達だと思ったことはない。むしろ幼馴染と同じクラスであったとき、わたしはこのクラスに友達なんて誰もいないと思っていた。言葉通り本だけが友達だった。実際クラスの中で幼馴染と会話した記憶もほとんどない。グループも違ったし、共通の友達も少なかった。


そんな幼馴染は今日も同じように、自分では思いもつかない考えを提供してくれた。それは家庭環境に関わることだった。確かにわたしとその子では全然家庭環境が違う。自分は三兄弟のいちばん上で親は共働きだし、幼馴染は三兄弟のいちばん下でお母さんは専業主婦だ。だから同じように思えないのは当たり前なのかもしれない。友達と話す時、同じように感じたことは一度もないけれど、そう思うことにした。別れる時、やっぱりモヤモヤした気持ちが残った。


そんな気持ちを払拭するために、帰り道に本屋へ行って後輩からお薦めされた本『世界でいちばん透きとおった物語』(杉井光)を購入。

この本を探してる時に、大学生くらいの女の子3人組がその内の1人の子に星新一を勧めているのを聞く。どんな理由で勧めているのかまで分からなかったけれど、「ショートショートで読みやすいから」という安直な理由だったら少しがっかりするな、と思った。



購入した本はその日中に読んでしまった。『神様のメモ帳』以来の杉井光さん。なので実に読むのは10年以上ぶりかもしれない。

ネタバレになるから詳細は伏せるけれど、確かに紙の本ではないと出来ないトリックだった。これ以降誰がやっても二番煎じになってしまうだろうから、この本でしか味わえない体験だと思う。

登場人物的には作家の父親がとにかくすごい。何がすごいかって、どんな立場の人から見ても「すごいミステリ小説家」であり「プレイボーイ」であったという点が変わらないところが潔いなと思う。隠し子、実子、愛人、仕事仲間。誰から見ても同じ印象を抱かせるというのは、よっぽど小説を書くこと以外に興味がなくて取り繕うことがないからなのか、それともその二点があまりにも強烈なのか。自分みたいに今求められている役割を考えて、それごとに自分を変えてるような人とは大違いだと思った。



7月15日(月)
三連休最終日。昨日本屋へ寄った際に少し立ち読みした本『さみしい夜にはペンを持て』が忘れられずKindleで購入。こちらもその日中に読んでしまった。

10年間も続けてきた個人的な日記とnoteで公開するようになってからの日記。何かが違うと思いつつも言語化出来ていなかったけれど、それが「感情を吐き出すためだけの日記」なのか、それとも「わかってもらおうとするための日記」なのか。それによって、同じ中身でも全然異なる伝え方になるんだと。それがこの違いを生んでいるんだ、と理解した。

個人的に書いていると未来の自分を読者と想定して書くことはやっぱり難しくて、どうしても感情の書き殴りになってしまう。それをこのnoteが解消してくれているから、やっぱり始めて良かったと思った。

この本は日記を書くことについてすごく分かりやすく書いてあるから、これは日記書いてる仲間でもある『世界でいちばん透きとおった物語』を勧めてくれた後輩にお返ししようと思う。その後輩はわたしと違って電子ではなくちゃんと万年筆で日記を書いているから、すでに素敵なお部屋を築き上げているだろうけれど。


おわり


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