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しくじり修士 おれみたいになるな!!【学部編】


Introduction

 「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきがことなっているものである。」
この名言は、アンナ・カレーニナの物語からの有名な一節だが、大学院も同じことが言えるのではないだろうか。成功した大学院生は、似通った要素や行動パターンを持っている一方で、失敗した大学院生の間にはさまざまな原因が存在する。
 修士博士の失敗談はこの世に星の数ほどあるが、みな致命的な傷を負ったせいかダイイングメッセージだけを書き残して去っていくため、失敗した部分の振り返りに至ったお気持ちポエムは少ない。
幸い命からがら抜け出せたので、あの地獄の場所がどう地獄で、もしやり直せるならどうすれば苦しみを軽減できたのかを振り返ろうと思う。

Abstruct

 学力の都合で進学した大学に、興味のある研究領域はなかった。「なぜ来たのか」という一言がきっかけで外部院進を志す筆者。院試を手持ちの環境を活用して何とか突破するも、研究室選びの最中、指導教官からある提案を受ける。

Methodology

書いた人の基本情報。

  • 領域は応用物理学。理論バチバチというより、それを模した実験調査結果に対して数値計算の結果とすり合わせて現象理解する系。

  • 元々勉強は好きではなく、高校生まで強引にパターン学習で乗り切ったタイプ。これを大学受験まで同じやり方で臨んだため、第一志望には浪人しても数学大問一つ分足りず爆散、後期で何とか大学に滑り込んだ。正直言って要領が悪い方だと思う。言われたことを繰り返してると落ち着くタイプ。マインクラフトでいうと整地作業が好き。

  • 理解のあるカレ/カノジョは一貫していない。だから椅子に座ってリラックスして、飲み物片手に読んで欲しい。あくまでこの記事はフィクションだからね。

Results

学部時代【入学~3年生】

 上述の通り、後期試験で入った関係上入学した大学で明確にやりたいことがあったわけではなかった。どの程度かというと、学部1年生の際に学科の教授に相談した所「Youは何しに弊学へ?」と言われる程度には入った大学とやりたい領域にはズレがあった。なのでこの時から大学院で専門を変えることをうっすらと意識していたし、学部の研究室配属が決まる3回生までにはそこそこ外部のイベントなどに参加したりして情報を集めていた。

 この時お世話になったのは同じ研究室に在籍していたT先輩A先生である。さらっと紹介するが、割とこの後の記事にも出てくるキーパーソンなので覚えておいて欲しい。
 T先輩は興味のある研究領域が同じであり、所属サークルが同じだったこともあって、学外の実習やイベントを積極的に共有してくれた。
 A先生は少しでも怪しい輪読や発表をしようものなら鋭くツッコまれるが、かと言って怖いわけではなかった。とにかく毎日定時で帰りながらバリバリ論文読んで進捗を生む姿が印象的で、将来はああなりたいと憧れていた。当時研究室のメンバーが「先行研究や理論について勉強するとストレージが増えている感覚はあるが、あの先生は積んでるOSが違う」と形容していたが、全くその通りだと今でも思う。

正直3年に研究者配属された後、輪読(一冊の専門書を研究室全体で嚙み砕いて読んでいくこと)位までは、多少分からないことこそあれど、特に大きな問題はなかった。

学部時代【4年生~外部院試】

 学部生の院試は主に8月前後が多い。分野によって多少の誤差はあると思うのだが、多くの院生は4年のうち半年位は院試勉強にあてていた気がする。
 筆者の領域の院試は以下のような特徴があった。

  1. 大学院によって問題傾向が全く異なる

  2. 過去問は公開されているが、回答はない

  3. 科目は数学・英語(英作文・読解)・専門物理の3種類

1,2は大学院説明会の時に半ば強引に内部進学組や在籍している院生に頼んで過去問の答えを共有してもらい、それを元に勉強した。学部の入試と比べると情報が大事な世界である。
3について、専門物理は授業や研究室の輪読もあったので特別苦労しなかったが、問題は英語と数学であった。筆者はサークルの知り合いにイギリス人がいたので、彼に英作文の添削、数学は大学の数学科が昼休憩に開いている数学相談室に過去問を持ち込むことで対策を試みた。学科生では厳しい問題は教授に持って行ったが、そこでどうやら出題の参考にしているらしき分野の教科書を教授が看破したため、そのタイトルを図書館で借りて勉強した。餅は餅屋である。

 今だと翻訳アプリや、教材もYoutubeなどで見られるのでここまでしなくても大丈夫だが、折角高い授業料を払っているので極限まで元を取ろう。あとは各大学は内部院進して欲しいので受験日を揃えていることが多い。リスクリターンを鑑みて予め行動しておこう。筆者は受験前に両親に万が一のことがあったらすまないと謝罪の先行入力を行った。結果的に何とか試験を通過したが、これがこの後続く地獄の幕開けとは当時は露も知らなかった。

学部卒論

 研究自体は先生やポスドクの方の協力もあり何とか提出することができたが、この時から既に輪読や研究進捗が芳しくないことをA先生に相談できない気まずさから、研究室に行けないこと日がちょくちょくあった。
当時体調が悪化して、初めての円形脱毛症も患っていたことも相まって、学部の卒論はほとんど家から一歩も出ずに、髪の毛が抜けながら大学のサーバーに接続して書ききった。幸いにも実質研究らしい研究をしたのは院試が終わる4年の夏以降であったため、たった半年ではホウレンソウができないという社会性を営む生物としては致命的な問題も表面化することはなかった。

【しくじりポイント】研究室訪問と指導教官

 基本的に院試は、事前に指導教官を宣言して入試に臨む。ここが筆者の人生第一のしくじりであった。院試の突破にこそ注力したが、事前のリサーチが圧倒的に足りておらず、外部の大学なので遠征できる回数も限られていたため指導教官の大体の専攻だけざっと見て、そこから2つの研究室のみアポを取って話を聞いただけだった。ちなみに、この時見るべきポイントは別記事にしたので参考にして欲しい。

 何となく指導教官を決めた後、筆記試験の日が迫るある夏の日、A先生から突然声をかけられた。普段呼び出されることはめったにないので、当時はかなり驚いた記憶がある。
A先生「指導教官は決まったの?」
自分「はい、XX先生に…。」
A先生「なるほど、ちなみに同じ研究グループでO先生とかどうかな?」
と第三の選択肢、O先生を紹介された。どうやらA先生と同じ指導グループの教授で、領域が似ているがA先生は数値計算、O先生は実験の人だったため、学外で尚且つある程度見知った先生を紹介してくれたのだった、後から知ることになるが、実はT先輩も内部進学し、O先生を指導教官にした。当時の筆者はA先生に全幅の信頼を寄せていて、これまでの色々なリサーチを全て覆してO先生を指導教官に院生の道を歩むのであった。

Discussion

発見したこと

  • やりたいことが分からない時はとりあえず外部のイベント行ってみる

  • 院試は情報戦

対策・反省

  • いくら尊敬する人でも、自分の人生に責任はとれないことを忘れてはいけない。

  • 進路のリサーチは事前に自分にとって重要な項目を決めて効率よく行う。

  • 研究室に行きづらい時は思い切って「行きづらい」と打ち明けるのも大事。

Future Work

しくじり修士 おれみたいになるな!!【修士編1】

  • 消えた先輩、消えていた先輩

  • 異国の空、箱アイス、ET

  • 通夜明けのメール

  • 振れないサイコロ

  • 枕のG

  • 天岩戸 with HDD

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