マーダーミステリー:ゲームマスターの魅力

これまでアマチュアGMとして数多くの作品でGMとしてプレイしてきましたが、参加プレイヤーの方から「GMありがとうございます」とお礼を言われることがよくあります。
それ自体は礼儀でもありますし、確かにGMは事前準備もあってプレイヤーよりも大変な面はあります。ただ感謝の言葉の中には、「GMはプレイヤーと比べて楽しくないのに無償(もしくは実費のみ)でGMをしてもらってありがという」というボランティア活動に対する感謝の含意があるようです。

ではマーダーミステリーのGMというのはまったく楽しくないNIMBYなのかというと、そんなことはありません。
GMにはGMでしか味わえない楽しさ、魅力があります。
しかしGMは大変そうというイメージが先行してマーダーミステリーのコアファンにも、GMは楽しいということがあまり伝わっていません。そこで本稿では、GMとしてマーダーミステリーをプレイする魅力を紹介します。
なおGMをラクにする術については、「誰でもカンタン らくらくアマチュアGM術」という記事で紹介しています。

観客としての面白さ

マーダーミステリーはナラティブ性を備えた再現性のない遊びです。同じ作品をプレイしていてもまったく同じ展開になることはありませんし、同じ物語が紡がれることもありません。しかも同一のメンバーでプレイできるのはたった一度だけです。
そんな貴重なたった一度のプレイを観られるのはGMだけです。GMというただ一人の観客のために、プレイヤーたちによるインプロ劇が催されると捉えることもでき、贅沢な時間を過ごせます。
プレイヤーが役者や声優などの表現者であることはまれですから、演技という面では舞台やテレビドラマには劣るかもしれません。しかしアマチュアGMが対象にするのは友人、知人です。普段の人となり、関係性が分かっているからこそ生まれる面白さ、場の盛り上がりがあります。
いちばん面白くて本当に笑えるのはプロの芸ではなく、友達同士のバカ話だと有名なお笑い芸人も説いています。長時間かけて築き上げられた関係性による盛り上がりは、プロといえど超えられません。

しかもGMは進行のために作品の全体像を知っています。各キャラクターの秘密や見せ場、ポイントとなる場面や情報を知っていて、どのシーンに注目すべきか事前に分かっています。
犯人がうまく切り抜けられるのか、はたまた追い詰められるのか、どんでん返しの場面でプレイヤーがどう反応するのか、あらかじめ待ち構えて臨むことができます。
複数の卓で同じ作品のGMを行うのであれば、見比べることもできます。今回はこんな展開になるのか、こんな風に進んでいくのかという驚きや発見を楽しめます。

マーダーミステリーの確実性と不確実性の両立が、観戦する上での醍醐味につながっています。

人を喜ばせる快感

「みんなの笑顔が見たいから」というと建前や偽善に聞こえるかもしれませんが、実際に他人の喜びを自分の喜びとする体験は多かれ少なかれ味わったことがある人も多いでしょう。
聖性や信仰といった大仰な話ではなく、パーティを開いて料理をふるまう、イベントの幹事を務めるなどの日常の体験です。金銭や労力の損得だけでいえば損になることを率先して行うとき、そこには喜びがあるはずです。そうでなければ長続きさせられません。

仮に自分がマーダーミステリーをプレイして感じる楽しさが100だとします。GMによって他人が感じる喜びの5分の1を自分の喜びと感じられるなら、それだけで6人プレイの時点でGMが受け取る喜びは120になります。ここに観客としての面白さも加算されます。
もちろん5分の1というのは仮定です。人によって多寡はあって、それによる向き不向きはあります。プロデューサー気質あるいは裏方気質の人(=他人の喜びをより多く自分の喜びにできる人)でなければ向いていないのは確かですが、自分がプレイするだけでは味わえない愉悦があるのもまた事実です。
観客としての面白さは見学者でも体験できますが、人を喜ばせる快感はGMでなければ味わうことができません。

作者の疑似体験

プレイにあたって作品へ最も思い入れが強いのはGMでしょう。
事前にストーリーや全キャラクターの特徴、ゲームのギミックを把握し、時にはゲームのコンセプトや演出意図といった作品の全貌まで理解します。ゲームプレイ時点で作品に対して最も理解が深いのはGMであり、それだけに作品に対する愛着も沸いています。そしてGMをやるからにはプレイヤーに楽しんでもらおうという気持ちがあります。
作品のことを深く理解していて、プレイする人に楽しんでもらおうとする------これはまさに作者と同じ心境です。

1作品でさえマーダーミステリーを制作するにはたいへんな労力が必要です。キャラクターの背景設定、矛盾のない推理、ゲームのバランス------どれが欠けていても作品の面白さを損なってしまいます。作品を生み出すには多大な情熱と論理的思考が求められます。
しかしGMであればそうした苦労を介さず、プレイヤーが楽しんでいる様を眺めるという作者の喜びの心境だけを疑似体験できます。
参加者たちが自分の演出の下でプレイし、自分の仕切りに従って動くという万能感を味わえるのも作者とGMの特権です。
いわば公然と甘い汁を吸えるわけです。


ここまで見てくれば、GMがNIMBYではないことがお分かりいただけたでしょう。
もちろん向き、不向きはありますが、率先してGMをする人は楽しんでプレイしています。

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