文が書けなくなってきた。

タイトルの通り、書き出しすらもまともに思い付かなくなった。
そんな気がしてならない。
既にオチは見えているので、ここからの文章はただの蛇足。いわゆる言い訳というか(誰に?)。
悶々とする心情をダラダラと。

経験は26歳にしてはなかなか修羅場を踏んでいると思うけれど、それが文章の洗練さに関係するかといえばどうなんだろう。あんまり関係ない気がする。そこでこうなってしまった別の要因を適当に考えてみた。

まず、本を読む事が減った。明らかに。
一冊に向き合える心の余裕が、最近は無い。
頑張れば図書館にだって行ける距離に住んでいるし、少し歩けば本屋があるのにあらゆる理由をつけて、いつの間にか読書が二の次、三の次になっている。
なんというか、忙しい。読書に向き合う心のスペースが取れなくなった。この忙しさは物理的なものと、精神的なモノ両方の意味を持っている。

読書をするというのは、自分が思っているよりもすごく高尚な事だったのかもしれないなぁ、と少し悲しくなった。
年間300冊の貯蓄も、遥か昔の話。知識が擦り減ることは恐らく無いけれど人間は忘れる生き物なので、思い出す作業も必要だと思う。昔読んだ作品を今読んだらまた違う感想や考えが浮かぶと思うので無闇に新しい作品にこだわる必要もないのかな、とも思うようになった。
まあそれでも、せっかく脳内に貯まっている書庫のレベルを上げるためにも新しい作品に触れて、読んで自らで消化するのは自分のスキルアップにも必要な事と言える。年齢と共に引き出しも増やしていきたい。なんぼでも良いんです引き出しの多さは。

読書が減った今、流し見できる映画には大変助けられている。断言できる。実家から都内への移動時間がかなり長いので到着する頃には一本見終える事が出来る。
本当に助かる。変に取り繕う事はしない。
マジで感謝。感謝します映画。

考察が必要なホラーやサスペンスは本当に助かる。残念ながら私はあんまり頭が良くないけれど、それでも知恵を絞りながら作品を消化していくのは楽しい。
あらゆる可能性の糸を紡いで、正しい意図を探るのはとても楽しい。ちょっと韻が踏めて嬉しい。

とはいっても、最近は思考を無にしながらTwitter(x)やTikTokを眺める事の方が増えてしまったけど、やっぱりどこかで時間をとって作品にゆったりと向き合える心の余裕が欲しい。
過去出来ていたのだから、今もできるはず。

趣味に本気で向き合う、そんな下半期にしたい。

ここまでのべ1000字以上自分の考えをまとめられた。良かった。まだまだ文章を書く事を諦めなくてよさそうだ。


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