永遠のこどもたちを見た。

信じなさい。そうすれば見えるようになる。


この映画書き出したい要素があまりにも多すぎる。
なので自分が特に感じたことに関してしか言及しません。

摩訶不思議映画と言えばギルレモ・デル・トロを思い出す方は多いのでは無いだろうか。
パンズ・ラビリンス、シェイプ・オブ・ウォーター等の独自の世界観を生み出す映画監督である。
ちなみに私は上記の2作がとってもとっても好き!

本作の永遠のこどもたちも、あーデルトロ映画だ...と思う描写たっぷりでとても楽しく、そして心がぎゅーっと締め付けられる場面が多々あった。
もう画面全体が仄暗いのもすっごい雰囲気出てて良かった。
陰鬱な絵画展といえば伝わるだろうか。ホラー好きでも、そうでなくても色んな人々が観れる作品だと思う。

この映画は切ない。
母と子供の愛の物語。

主人公のラウラとその息子シモンに血縁関係はない。シモンは養子である。またラウラ自身も孤児院出身。
ラウラは彼を本当の息子のように愛しているしシモン自身もラウラを本当の母親だと思って過ごしている。
この映画の原題自体が【孤児院】という事もあって血縁なんてなくても絆や愛があれば...と言った内容だ。
少なくとも私はそう感じた。

親から子への愛ってどう転んでも凄まじいものだなと思う。愛ゆえに厳しくするとか、大切にするとか。
はたまた愛ゆえに復讐を決めたとか。

作中で感じたのは、親から子供への愛が揺るぎないモノだと言う事。絶対的なモノがあるならそれ。
目に見えないから不確かなだけで、確実に存在する。血のつながりだけじゃ図れない。そもそもラウラも孤児院出身の過去があるからこそ、同じような境遇を持つシモンへの愛がそこにはあるんだろうなと思う。

とは言え、親と子のつながりを物理的に証明するモノはやはり遺伝子でしか無いのだろうかと考えざるを得ない場面があった。愛があるから!と言われてもあまりにも不確かすぎて、証明には用いる事が出来ない。(歌詞みたいな言い回しになっちゃった)

人間はなるべくだったら信じたいものは目で見たいし、目に見えるものを信じる生き物だと思う。
もしかしてこの映画で最も大事な考えを言ってしまった気がする...。

話を戻す。
その辺のいざこざで、ラウラとシモンの関係に一瞬ひびが入るシーンがあるがもうずっと苦しい。「本当のママじゃないくせに」とシモンが言い放つシーンは精神衛生上とても良くない。無理。
しかもそれを元孤児院の屋敷で言うのはあまりにもパワーワードすぎないか?いや、すぎますね。

しかもそれをシモンが自らの友人から聞いたとか言うから一瞬、脳が置いてけぼりである。

なぜならその友人は、我々の目にはうつらないからだ。

いわゆる【イマジナリーフレンド】。空想上の友人。
幼い子供の頃、経験がないだろうか。
誰もいないはずの場所を指差しだれかが立っていると言ったり、その場で話した事がある等。
ラウラ自身も夢見がちな子供だなと思いつつも、段々とシモンへの悪影響について考え始めるのだがストーリー上このみえないお友達の存在が非常に重要になってくる。

イマジナリーフレンズに関して忘れないで頂きたいのは、見えないだけでそこにいるという事。
ある人によっては見える。
ある人によっては見えない。

私的には、必要のある人やその存在を信じている人には見える存在なんだろうなと思う。

ここで冒頭のセリフを繰り返す。

「信じなさい。そうすると自然に聞こえるようになるし、必ず見える。」

(...あと、冒頭で切ないとは言ったものの、割とホラー描写は多い。集団いじめの話とか、被り物した子供とか。事故シーンとか。うわっ!というよりうっわ...。ちゃんと嫌な感じのシーンも散りばめられててとても良いが、幻想的な雰囲気から現実に引き戻される箇所も多いので注意。そして伏線の回収が抜群に良い。なるほど!と思うシーンが多い。2回くらい見ればすぐ理解できる。はず。うわ、めっちゃ言いたい。でもこれ以上ダラダラ文にすると、映画見た時の面白さが半減するのでやめておく。)

子供はいつでも母親を求めてると思う。
それが10年、20年。はたまた30年経とうが。いつの時代も変わらない。

意味深なこと言っちゃった。

歯切れ悪いけどおしまい! おわり

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