エッセイ 甲斐栄次郎さん②

日本声楽家協会が定期的に発行している会報には、毎回声楽家や講師の先生方よりオピニオンやエッセイをご寄稿いただいております。このnoteでは「エッセイ」と題しまして、以前いただいた寄稿文をご紹介します。
今回は2014年2月号-3月号より日本声楽アカデミー会員のバリトン歌手、甲斐栄次郎さんのエッセイを掲載いたします。

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「道の途中」
甲斐栄次郎 バリトン
昨年夏、私は10年間暮らしていた「音楽の都」ウィーンを後に日本に帰国した。留学で海外へ出たのが1999年、文化庁派遣芸術家在外研修員として渡ったアメリカ、ニューヨークだった。ヴォーカル・コーチやヴォイス・ティーチャーのもとに通い、シェリル・ミルンズやレナータ・スコットらのマスタークラスを受けたり、イスラエル、イタリア、フランス等で開催されたオペラ・プログラムに参加。世界中から集まってくる若く才能のある歌手たちに混じり、歌唱、演技のトレーニングはもちろん、「セヴィリアの理髪師(パイズィエッロ)」や「フィガロの結婚」の公演にもタイトルロールで出演した。それは、自分の中に潜む力を発見し、それを生かすために何をすべきかを考え実践していくという日々だった。ニューヨークに拠点を置いた2年間の経験で思ったのは、チャンスがやってきた時に、しっかりと掴むことのできる力をつけておくことが、確実に取り組むことのできる唯一の方法であるということだった。
その後、五島記念文化財団の助成でイタリア、ボローニャに留学したのが2002年。イタリア滞在中に受けたオーディションをきっかけに、2003年からウィーン国立歌劇場の専属ソリスト歌手として活動を始めた。基本的には1年の契約で、2年先のことを考えると不安なままだったが、結果的に更新を繰り返すことになり、10シーズンに渡りウィーン国立歌劇場の舞台で歌い続けることになった。オペラ歌手を目指そうと決めた中学3年生の終わり頃、「本場ヨーロッパの歌劇場の舞台に立つ」ということが、はるか彼方に掲げた目標だった。十数年の時を経て、その目標に辿りつくことになるのだが、それはヨーロッパにおけるプロのオペラ歌手としての新たなスタートだった。
ウィーン国立歌劇場は、9月から6月までの10か月間の1シーズン中、上演を行わない日はほとんどなく、約50のオペラ作品を約300公演(一部バレエ公演)行っている。劇場専属のソリスト歌手は常に40~50人が所属、主役を歌いにくる有名スター歌手の脇を固める。専属ソリスト歌手の仕事は、舞台出演を重ねながら、常に新たな役の準備をし、公演を控える演目のリハーサルにも参加、スター歌手のカヴァー(代役としての控え)を務め、主役級の役でも舞台に立つ。急病の歌手が出れば、カヴァーが急遽代役として出演する。本番前のリハーサルに参加できれば幸いだが、常に幾つかの演目のリハーサルと本番を抱えているので、そのような時間は持てない。結局そのまま本番中に芝居の指示を受けながら舞台に立つということもある。
私自身、代役として飛び込みで歌った経験は何度もあったが、幸いにも、演出スタッフとの芝居の打ち合わせを持てないままの本番ということは一度もなかった。しかし、ほとんどの場合、共演者とのリハーサルはないままで、舞台上でそれぞれの役として顔を合わせることになる。心配されるのは、そうした状況で公演が上手く運ぶものかどうかなのだが、それぞれの歌手が、それぞれの役(登場人物)として舞台上に在れば、何も問題になることはなく、ごく自然に物語は進んでいくものだ。
今手元にあるウィーンで出演してきた演目のキャスト表をめくれば、学生時代にCDやビデオで視聴していた歌手たちの名前が並んでいる。こうして日本にいて、これまでの10年間をふり返ると少しばかり不思議な気持ちになる。「シモン・ボッカネグラ」ではパオロ役で、トーマス・ハンプソン、レオ・ヌッチ、プラシド・ドミンゴら扮するシモンを何度となく暗殺。オペラの歴史上最高のコロラトゥーラ歌手、エディータ・グルベローヴァとは「ロベルト・デヴェリュー」においてノッティンガム公爵役で共演。ニューヨーク留学時代にMETで何度も聴いていたアメリカのテノール歌手、ニール・シコフとは「ランメルモールのルチア」、「ボエーム」、「スペードの女王」、「ユダヤの女」等で数多く共演。「蝶々夫人」ではアメリカ領事シャープレス役でイタリアを代表するプリマ・ドンナ、ダニエラ・デッシと共演。アンナ・ネトレプコとは「愛の妙薬」、ロランド・ヴィヤソンとは「ロメオとジュリエット」で共演・・・等々。ウィーンの舞台でこのような歌手達との共演を重ねながら知ることができたのは、世界の一流と呼ばれる歌手達でも、一切手を抜くことなく、ひとつひとつの舞台に全身全霊で臨んでいるということだ。純粋にオペラを愛し、役に向き合い、きっと若い頃から変わらない思いのまま歌い続けてきたであろうその姿から学んだことは大きい。
さて、ひたすら舞台で歌ってきたウィーンでの10年、収穫の多かった留学経験、そこに至るまでの長い日本での修業時代、オペラ歌手を夢に見て歩き始めた中学生の自分、と振り返って考えてみれば、常に終わりはなく、スタートの繰り返しだった。きっとこの先も、歌手として辿りつくところなどあるはずがなく、いつになっても道の途中を歩き続けていくのだ。

「愛の妙薬」(ベルコーレ役)

「愛の妙薬」(ベルコーレ役)
写真:ウィーン国立歌劇場



「ランメルモールのルチア」(エンリーコ役)

「ランメルモールのルチア」(エンリーコ役)
写真:ウィーン国立歌劇場