エッセイ 小林大祐さん

日本声楽家協会が定期的に発行している会報には、毎回声楽家や講師の先生方よりオピニオンやエッセイをご寄稿いただいております。このnoteでは「エッセイ」と題しまして、以前いただいた寄稿文をご紹介します。
今回は日本声楽アカデミー会員のバリトン歌手、小林大祐さんの2013年4月号-5月号の寄稿文をもとに、加筆いただいたエッセイを掲載いたします。

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「私は町の何でも屋」
小林大祐 バリトン

「あなたの人生の一曲は?」と聞かれたら、すぐ頭に浮かぶのは、「セヴィリアの理髪師」のフィガロのアリアだ。
私にとってこのフィガロの「何でも屋」のアリアは、現在まで20年の声楽人生の中で17年間も歌い続けているいわば十八番の曲であり、特別な一曲である。
簡単にこの曲を説明すると、町の理髪師で何でも屋のフィガロが、いかに自分が町の人気者で機転の利く男かを声高らかに、そして言葉巧みに歌い上げて登場する自己紹介ソングだ。
ロッシーニ最大の代表作「セヴィリアの理髪師」の第一幕、夜明け頃に自分の店へと向かうフィガロの自作BGMとでもいいましょうか。
理髪師としてかつらや髭の手入れはもちろんのこと、止血やラブレターの渡し役など様々な仕事を任され、フィガロは子供から老人まで町の皆の人気者なのです。
この曲との出逢いは高校二年の終わり頃、高校の時の歌の先生に「芸大の入試でこれ歌えたらいいちゃね、過去に歌った人もおったらしいわ」と言われて「そんながかぁ~」と取り組んだのがきっかけだった。
今思えばあんな大変な曲をと思うが、当時の頭では怖いもの知らずというか世間知らずというか、歌った人がいるなら大丈夫かぁくらいに思った。
聴いたことのある人も、もちろん歌ったことのある人もわかると思いますが、この曲はとっても早口な上に、バリトンとして一般的に必要とされている高音を遥かに越えていくのです。
最初の頃はただただ必死だったし、最後の決めの高音もコントロール出来ずにかすれてしまったりしていました。 そこから 19年の間に自分の技術が上達するにつれて声が出しやすくなったり、もっと違う歌い回しが出来るようになったり。
昔からCDを集めて聴くのが大好きで、プライから始まり、ハンプソン、カップッチッリ、デル・モナコと、最近ではYouTubeもあり、いろんな人のフィガロを聴くことが出来ますし、やりたい表現はどんどん膨らんでいきます。十人くらいの歌手の何でも屋のアリアを集めたCDもありましたね。
この曲はコンクールや大学入試を始め大学の時も卒業してからも本当にたくさんの本番で歌わせてもらいまし た。 それだけこの曲がお客さんに楽しんでもらえて、 自分の良いところを引き出してくれる曲なのだと思います。
この曲のおかげで、たくさんの人と出逢えたこと、そして、歌手として素敵な人生を歩ませてくれているこの曲戸の出逢いに感謝しています。
大学院の時、恩師がこんなことを言っていました。
「一度でも十八番と言われた曲は、生涯十八番じゃなきゃいけないんだよ」
曲が曲だけに今考えると足の震えが止まりませんが、、(笑)また皆さんに楽しんでもらえるフィガロや歌っていきたいなと思っています。