エッセイ 栗田真帆さん

日本声楽家協会が定期的に発行している会報には、毎回声楽家や講師の先生方よりオピニオンやエッセイをご寄稿いただいております。このnoteでは「エッセイ」と題しまして、以前いただいた寄稿文をご紹介します。
今回は2019年4月号-5月号より日本声楽アカデミー会員のメゾソプラノ歌手、栗田真帆さんのエッセイを掲載いたします。

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「私の一曲 ~朧月夜」
栗田真帆 メゾソプラノ

下町育ちである。引っ越しも徒歩圏内。ゆえに田舎をあまり知らない。山はあおき、水は清き故郷を持つ人をうらやましく思うこともままある。近くに流れる隅田川で、お花見の時期に“柳と桜が錦を織り成す古の墨堤”に思いを馳せ、ノスタルジーに浸ることはあれど、頻繁に利用する上野駅の停車場に訛りを聞きに行ったことは無い。わが下町は、義理と人情が心の故郷であり、いわゆる日本人らしい故郷のイメージとは違う…と寂しく思うことがある。
唱歌は、そんな私にも歌で日本の原風景を語ること許してくれ、その描かれた風景での実体験を持つ人と声を共にする機会を与えてくれる。人生の先輩方が口ずさむ唱歌はプロアマ問わずどれも素敵。“校門を出ず”という扱いであった唱歌が時を経て、その人の生き方やルーツと結び付いてゆく。私もそんな味わい深い唱歌を歌える日が来るのだろうか?そんな思いで、ふと空を見上げると、月。「朧月夜」、私の好きな1曲である。
高校卒業から音大入学まで、期せずして一年間自由時間を与えられた私は、本分である西洋音楽学習のほか、アルバイトや教習所通いなど色々な社会勉強を開始したが、それでもまだ日々のうちに余暇があり「日本抒情歌全集1」なる楽譜を自分で買って、その本のはじめから順番に弾き語りをすることが日課になった。本人にとってはコールユーブンゲン感覚である。知ってる曲も知らない曲もあったが、ページをめくるのがいつも楽しかった。図らずも、私はいつの間にか唱歌・懐メロを沢山知っている人になっていた。
しかし、ハタチ前後の女子の交遊関係で唱歌の話題で盛り上がることは皆無。そんなある時、CMで女性ポップス歌手の歌う朧月夜を耳にした。「あ、そうか!歌が生きてるってこういうことか‼」とナゼか納得した。巷のCMで流れるこの曲と、私のピアノの上に置いてある本の1ページが繋がった途端、小学校高学年の姉が低学年の私の前で口ずさんでいたことも思い出した。以来、この曲は私の生活や実体験を伴う歌となり、CMソングを耳にした若者、戦前から愛唱しているお年寄、合唱界器楽界の人達と私とを繋いでくれている。音域は1オクターブ以上あるし、3拍子だし、4度の跳躍もあるし、なかなか難しい曲だけど、匂いが淡くて、音が霞める、なんて五感の相互リンクがあったりして格好いい。そして何よりも、これぞ故郷の山川というのを持たない私の上にも“月”は平等に微笑んでくれる!(笑)不忍池の畔で桜の枝越しに見上げる朧月も春宵値千金♪
音楽大学卒業間もない頃、日声協からのお声掛けで酒造コンサート演奏に出向く際、車窓からは菜の花畑、帰りは月夜。これも大切な実体験。6月の日声協ワークショップでは、声と身体と、今と昔と、集まった人それぞれと集いの空間が、音として、間として、どんな風に息づいてゆくのかと、いまだ朧ろではあるけれどワクワクしている。