エッセイ 上江隼人さん

日本声楽家協会が定期的に発行している会報には、毎回声楽家や講師の先生方よりオピニオンやエッセイをご寄稿いただいております。このnoteでは「エッセイ」と題しまして、以前いただいた寄稿文をご紹介します。
今回は2016年6月号-7月号より日本声楽アカデミー会員のバリトン歌手、上江隼人さんのエッセイを掲載いたします。

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「最近の独り言」
上江隼人 バリトン


 現在、日生劇場のロッシーニ「セビリアの理髪師」のフィガロ役を歌わせて頂いている。学校公演が主なプロダクションで、東京での公演は二週間かけて10回公演、ダブルキャストなので私が歌わせて頂くのは5回。内1回が一般のお客様向けの公演で、4回が学生向けの公演となり対象は中高生である。

いつものオペラ公演での観客はオペラファンや興味を持って観に来て下さる方々であるのに対して、ほとんどの中高生にとってオペラ鑑賞は何もかもが初体験である。劇場というところに足を運ぶ、オーケストラの繊細で時に大迫力という音の強弱ある世界、それに加えて舞台上では衣装をまとった厚化粧の人がお芝居をしながらオーケストラに負けないぐらいの声量で何語だか分からない歌を歌っている。この非日常的な出来事に中高生が客席で戸惑っているのを、私は舞台の上で歌いながら感じる。戸惑いのその雰囲気の中で演奏しなければいけない難しさを味わうと同時に、これがとても興味深く自身に降りかかる。さてどうする?どう歌おうとわからないか…と諦めることも可能かもしれないが、逆に言えば基本に戻る良いチャンスであるか…。
相手がオペラについて何ら情報を持たないということは、演奏する側の技術的な小細工や表面的な表現では全く通用しない。意を伝える為には舞台の上でその時に持っている感情をそのまま音に、声に、生きた実感として乗せること。何を伝えたいのかという気持ちがより強く必要になると感じた。歌手が何を伝えたいか、何を思っているのかを歌を通じて外に出せることを理想とするならば、今回の経験は私にとって大変貴重なものとなった。

またその一方で形式的に音楽を作り上げるのではなく、音楽を始めた頃のように演奏を楽しむという音楽の本質、歌の本質を問いただされているような気がした。歌手が音楽に魅力を感じていなければ、観客にそれを伝えることは到底無理だからだ。プロとして舞台に立ち続けていると技術的な要素を追求するあまり、初心とも言えるであろう音楽を楽しむという感覚に甘くなる気がする。こんな想いに気づかせてくれた中高生の若い素直な心に感謝。残りの公演と地方公演もその心に真っ直ぐに向き合って歌いたいと思う。
そして失敗しない歌ではなく、常に挑戦していく気持ちを持ち続けながら歌っていきたい。イタリア語であろうがヘブライ語であろうがどんな観客の心にも訴えかけるられるような、そんな歌が歌える歌手になりたいと強く思う。