エッセイ 藤井冴さん

日本声楽家協会が定期的に発行している会報には、
毎回声楽家や講師の先生方よりオピニオンやエッセイをご寄稿いただいております。
このnoteでは「エッセイ」と題しまして、以前いただいた寄稿文をご紹介します。
今回は2017年12月号-2018年1月号より
日本声楽アカデミー会員のソプラノ歌手、藤井冴さんのエッセイを掲載いたします。

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「歌いたい曲と自分の魅力」
藤井冴 ソプラノ

 2017年3月、長い大学生活を終えました。学部4年、修士3年、博士3年、計10年にもわたる大学生活は、義務教育よりも長く、たくさんの思い出に満ちた宝物のような時間でした。その集大成ともいえる博士学位審査演奏会では、600人を超える多くのお客様に見守られながら、大好きなベッリーニの「夢遊病の女」を演奏することができました。

 そんな大学生活を終えた今、ふと考えることの中に「大好きな曲」という存在があります。V.ベッリーニの歌曲やオペラ作品はとても身近で、馴染み易く、学生時代にも多く取り組んだ音楽でした。もちろん他にも魅力 を感じる音楽は多くありましたが、様々な素敵な音楽に出会う度に、私は「自分の好きな曲と自分に合った曲は必ずしも一致しない」という壁に何度もぶつかってきたように感じます。

「自分の好きな曲は音楽そのものを愛でてしまうので、小さくまとまってしまうの。パフェはグラスから溢れんばかりのフルーツやクリームがあるから美味しそうなんだと思わない?あなたの音楽はとても上品にグラスの中に納まってしまってるのよね」
 

学生時代に師匠からいただいた言葉には、このような印象的な言葉がいくつもありました。学部生の頃はただ訳も分からずに、「どうして先生は私の好きな哀しげでドラマティックな曲ではなく、明るく喜びに満ちた曲ばかり勧めてくださるのだろう…」と感じていました。けれども、大学院に進んだ頃から、自分の声や自分の個性について考えるようになり、ようやくあの言葉の意味が理解できたように感じたのです。「自分の好きな曲だからこそ、最高に美しい形で届けたい」という思いは、小さくまとまってしまった演奏へとつながっていたのです。それは声や表現が、自分の中に向かう内向きの音楽であり、観客の心に届くエネルギーに満ちた音楽とは異なるものになってしまうのです。  

これから先もきっと、「自分の声で伝えたいと思う作品を歌うこと」、「自分の声や個性が最も輝く演奏をすること」の狭間で葛藤しながら、自分の声と向き合っていくことでしょう。グラスの中にフルーツを美しく飾ることは、見方によっては自分の一つの魅力かもしれません。
けれども、グラスから溢れんばかりのフルーツやクリームを乗せる、ほんの少しの勇気があれば、自分の好きな曲が自分に合った曲に変化するかもしれません。 様々な作品と出会って、時間をかけて自分の声や個性と向き合って、ほんの少しの「勇気」を身につけていきたいものです。
そしていつか、自分の声や個性が最も輝く自分の大好きな作品に出会うことができたなら、それは最高の幸福ではないでしょうか。