エッセイ 土崎譲さん②

日本声楽家協会が定期的に発行している会報には、毎回声楽家や講師の先生方よりオピニオンやエッセイをご寄稿いただいております。このnoteでは「エッセイ」と題しまして、以前いただいた寄稿文をご紹介します。
今回は2013年6月号-7月号より日本声楽アカデミー会員のテノール歌手、土崎譲さんのエッセイを掲載いたします。

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「イタリア・ボルツァーノより」
土崎譲 テノール

2013年6月、イタリア・ボルツァーノに8ヶ月ぶりにやってきました。

土崎さん写真1

今回は羽田空港国際線ターミナルを飛び立ってから、ロンドンーウィーンーボローニャーフィレンツェと4フライトを乗り継ぐハードな往路でした。ボローニャ・フィレンツェ間は電車でも30分の距離ですが、ウィーンからの最終便は一度ボローニャに着陸して旅客を降ろし、それからまた飛び上がってフィレンツェに向かうのです。Gott sei Dank!
ともあれ、去年9月にヴェルディのオペラ「アルズィーラ」とシューベルト「ミサ曲変ホ長調」で共演したボルツァーノ=トレンティーノ・ハイドンオーケストラとの再共演として、モーツァルト「レクイエム」を歌える喜びが待っていました。一度ご一緒したところからの再度の依頼はとても嬉しいものです。しかも今回は5都市を回っての計5公演ですので、特に気合いが入ります。

 ~初めてご一緒した指揮者、ロルフ・ベックとの会話~
指:どこに住んでるの?
僕:東京です。
指:え!?じゃあこの公演のためにわざわざ来たの?
僕:そうなんです。。
指:ヨーロッパにはテノールがいないんだね!わはは!
僕:・・・(苦笑)。

土崎さん写真2

全5回のうちの第2回公演はこのオーケストラの本拠地でもあるボルツァーノの町の大聖堂でした。宿泊先のホテルで着替えてから徒歩で向かったところ、正装したアジア人が珍しいのか、多くの視線が注がれました。

この町はイタリアの最北部で、オーストリアとの国境まで100キロほどの場所にあります。ヨーロッパの交通の要衝で、歴史的に複雑な背景があり、現在はイタリア領となっていますが、戦争の度に様々な国に帰属を移して今に至っています。現在も街中では伊語と独語の両方が話され、道路標識や通りの名前やお店の看板に至るまで、伊・独両方の表記がされています。町の名前ですら、伊語=ボルツァーノ(Bolzano)、独語=ボーツェン(Bozen)と2種類が存在します。この地域の多くの町が2つの名前を持っています。
今回のアルトのソリストとは4回目の共演でしたが、彼女はこの地域の生まれで、独語話者には独語で、伊語話者には伊語で、即座に使い分けられる人です。言語の異なる国どうしの国境近くに育ち、教育を受けることで、両方の言語を巧みに操っている彼女を見るにつけ、様々な言語を話す人たちと一緒に仕事をする度に、いつも頭がこんがらがってしまう自分はまだまだだなぁと思ってしまいます。

土崎さん写真3

最終の第5回公演はガルダ湖の湖畔、ティニャーレで行われました。ボルツァーノからバスで2時間半の移動、それでも絶景の見晴らしが眼前に広がる会場での演奏は今回の公演の最後にふさわしく、疲れを忘れさせてくれるようでした。充実感を胸に、日本へと帰ります。