エッセイ 春日保人さん

日本声楽家協会が定期的に発行している会報には、毎回声楽家や講師の先生方よりオピニオンやエッセイをご寄稿いただいております。このnoteでは「エッセイ」と題しまして、以前いただいた寄稿文をご紹介します。
今回は2018年2月号-3月号より日本声楽アカデミー会員のバリトン歌手、春日保人さんのエッセイを掲載いたします。

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「『私の1曲』より モンテヴェルディ作曲 音楽寓話劇《オルフェオ》〜歌手人生のターニングポイント」
春日保人 バリトン

・人生の転換点
 人生にはいくつかのターニングポイントがあるだろう。その一つに将来の職業を決める高校時代がある。私にとっても勿論この時期は、フルートから声楽へと専攻を変える決断をした転換期であった。私は両親とも声楽家という家庭で育ったが、小さい頃の私の声は美声とは程遠いしゃがれ声だったようである。よく「森進一のようだ」と言われ、父が指導していた児童合唱団には入れてもらえなかった。しかし「蛙の子は蛙」なのか、結局は歌を歌うことが好きになり、声楽への道を選ぶ。この選択は人生において大きな転換点と言えるが、人生の方向を決めたと言える作品には出会っていない。その時は、東京藝術大学声楽科に進学し、意気揚々と学生生活を送っていた時に訪れる。

・「私の1曲」の出会い
 御多分に洩れず、当初はオペラが好きな普通の学生であった。当時好きだった作品はプッチーニの《ラ・ボエーム》。愛聴盤はTebaldi, Bergonzi, Bastianini, Siepiと言った黄金メンバーが名を連ねるSerafin盤。なんとベヌア役には戦後最大のバッソ・ブッフォだったCorenaが歌っている?!と興奮したものだ。聴き比べが好きだったため、《ラ・ボエーム》だけでも10種類を超えるCDが今でも棚に残っている。そんなオペラを夢見つつ、レッスンではイタリア古典歌曲集を歌っていた。そんな時に、パリゾッティ版とは違う伴奏がついた楽譜を手に入れる。同じ作品なのに全然雰囲気が違うと興味を持った矢先であった。当時少しでも時間があったら、附属図書館で様々なLD(当時は大きく分厚いレーザーディスクだった)を視聴していた。そこで手にしたものがアーノンクール指揮、ポネル演出、チューリヒ歌劇場のモンテヴェルディ《オルフェオ》だった。乾いた音色でシンプルな作りのトランペットのファンファーレから始まり、見たことのない楽器が多く、歌手陣は自由闊達に歌い演じ、そのエキゾチックな世界観に没頭した。音楽はメロディックでもあり、リズムカルで、時に激しい不協和音に反して美しい協和音が際立ち、直情的に私の心を揺さぶった。それから調べていくうちに、私が手に入れたイタリア古典歌曲集の楽譜は、通奏低音をリアライゼーションしたものであることが判明し、その音楽の自由な可能性にのめり込んでいった。

・憧れのオルフェオを演じる
 その後、大学院では設立されたばかりの古楽科バロック声楽専攻に一期生として学び、モンテヴェルディを始めバロック期以前の音楽を研究した。イタリアにて素晴らしい先生にも出会い、《オルフェオ》を始めモンテヴェルディの主要作品を学ぶことができたが、《オルフェオ》を歌う機会はなかった。しかし2008年「音楽堂バロックオペラ」として神奈川県立音楽堂が立案した企画に、幸運にもタイトルロールとして出演することができた。30歳という節目の年に、ついに憧れのオルフェオ役を歌う機会に恵まれたのだ。

人生のターニングポイントは一つではないでしょう。「私の1曲」の出会いから、様々な作品や境遇を経ていますが、これまでに触れた音楽は、脈々と次に生かされ途切れる事はないと感じています。今改めて自分の音楽を見つめ直しつつ、これからの歌手人生を送っていきたいと思います。