エッセイ 布施雅也さん

日本声楽家協会が定期的に発行している会報には、
毎回声楽家や講師の先生方よりオピニオンやエッセイをご寄稿いただいております。
このnoteでは「エッセイ」と題しまして、以前いただいた寄稿文をご紹介します。
今回は2017年10月号-11月号より
日本声楽アカデミー会員のテノール歌手、布施雅也さんのエッセイを掲載いたします。

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歌道 ~自分の声を見つめて~
布施雅也 テノール

【歌道】かどう
和歌の道のこと。漢詩文の文章道(もんじようどう)に対して和歌(やまとうた)の創作および和歌に関する学問を追求する学芸。
世界大百科事典 第2版の解説より

上記の通り歌道とは本来、和歌の創作や和歌に関する学問のことを指すのだが、
師匠は『武道』と同じような意味合いで『歌道』(脚注1)とおっしゃることがあった。
師匠は色気が服を着て歩いているようなお方で、一声出せば声に色が乗り移り、
それはそれは魅力的で、絵を描くように声の絵筆で曲を塗り込んでいくようだった。
レッスンの度によく「お前は色が薄い。塗り込みが足りない。よく言えばクセがない。」と言われていた。
自分の色、それは魅力にもつながることだと思い、手に入れたいと思っていた。

大学院在学中。とあるコンクールの選曲の際、自分でもある程度候補を考えて相談に伺ったのだが、
少しの沈黙のあと「あれは?」といってこの作品を勧められた。

《鎮魂詞~Requiem~》 服部芳樹作詞 石桁眞禮生作曲

その当時は全く作品の知識がなかったので、「レクイエム?宗教的なものかな…?よし、やってみよう」と素直に思い、
楽譜を手に入れて勉強をはじめた。
だが、譜読みを進めつつ色々と調べるうちに「本当にこれでいいのですか・・・?」と不安に思い始めた。
それはこの作品の内容が衝撃的で、ひとりの女性の懐胎、堕胎、懊悩、祈り、子との対話が詳細に語られているからだ。
そして当然ながら男性が歌うことはタブーとされていた。(おそらく私が初めて男性として歌ったと思うし、それ以降も男性は歌っていないはずである)
コンクールの選曲としてリスクがありすぎないか・・・?と思いつつも、この作品の奥深さに魅了され覚悟を決めて取り組んでいった。
男性の自分を通して、女性の生を語らなければならない。多彩な表現が求められるだろう。
どのような手段が考えられるだろうか?声の色は、密度は、温度は、質感は・・・
自分なりに熟考して作り込み、レッスンに臨んだ。

一度通した後、
師:「よく歌ってるけど、どっかで聴いたことあるな。そこで戦っても無理だよ。お前の個性を生かせ」
私:「???」

師:「お前の純粋なところ、クセのなさも磨けば個性となる、武器(脚注2)となる。」
私:「・・・!?」

これまでとは逆な言葉に若干パニックになったが、その後ゆっくりと噛み砕いてこのように伝えてくださった。
「お前は俺とは逆。色が薄いならそれを色とすればいいんじゃないの。白も『白』にすればさ。」
そのときは内容や表現ばかりに気が向いて、声を作り込み過ぎていたのだと思う。発想の転換。与えてくれた最大の気付き。
それから自分の中にあるものを磨き込んでいった。それは新たな道が開けていくかのような感覚で、根拠はないがこの道でいいんだと不思議な確信を持った。
自分にしか出来ない表現を求めて語りとしての声、中性的な声、真っ白な声・・・

そのかいあって(相当に物議を醸したらしいけれど)、結果的に一つの評価を頂けた。
《鎮魂詞》は自分の声の道を発見するきっかけとなる、運命的な作品となった。

その後、沢山の演奏や舞台経験を経て、少しばかり色味のある声や表現方法を手に入れたと思う。
しかし最近その時の心境や感覚を思い出し、改めて自分の声を見つめるようにしている。自分の声を最大限に生かして、その役や内容を表現していく。
その為に自分磨きをしなければならないと。先を見越して気付きを与えてくれた師匠に恥じないように、歌道を歩んでいきたいと思う。


(脚注1)とても師匠らしい言い回しで、武の道を極める。歌の道もそれくらいのものだと常々言っておられました。
(脚注2)脚注1でも触れたがこのような言い回しがレッスンでは頻繁にありました。
(脚注3)この一節との出会いは本当に大きな財産となっている。