エッセイ 藤牧正充さん②

日本声楽家協会が定期的に発行している会報には、毎回声楽家や講師の先生方よりオピニオンやエッセイをご寄稿いただいております。このnoteでは「エッセイ」と題しまして、以前いただいた寄稿文をご紹介します。
今回は2013年8月号-9月号より日本声楽アカデミー会員のテノール歌手、藤牧正充さんのエッセイを掲載いたします。

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「私の一曲~愛の妙薬『人知れぬ涙』」
藤牧正充 テノール

「私の1曲」の寄稿依頼をいただいたとき、真っ先に思い浮かんだ曲がこのテノールの名アリア「人知れぬ涙」です。音源もたくさん残っている曲ですが、私も大学在学中にはこのアリアをレッスンに毎週のように持っていってはあれこれ考えていた時期がありました。
ある日、ふと手にとって読んでいた本で偶然、テノールの山路芳久氏を知りました。残念ながら私が歌を志す前にお亡くなりになっていたので私は直接の面識はありませんでしたが、私の先生とは交友があったようで、色々なエピソードを伺う中で、彼の十八番もこのアリアだったことを知り、その後、また奇妙な偶然から生前の貴重な音源を聴かせていただく機会もあり、その歌声と歌心に深い尊敬の念を抱くよう になっていきました。
そんな体験から、深い思い入れを持つようになったこの「人知れぬ涙」は、演奏会などで事あるごとに歌ってきましたが、あるとき、大学のコンクール情報の掲示板でイタリア声楽コンコルソの情報を目にし、せっかく留学を考えているなら受験してみようと考えたのですが、そのころ、過去の苦い経験からコンクールの選曲に対して迷いがあり、自分の声の特徴を無視した選曲をする私を先生は「もっと曲に対して謙虚になれ。」と、激しく叱責し、私は悔しいやら情けないやらで何をしていいかわからなくなり、色々な歌手の人知れぬ涙ばかり何曲も並べて聴き比べてみたり、別の曲をレッスンに持っていったり(そしてまた同じ叱責を受けたのですが。)、まさに暗中模索の日々が続きました。
受験曲の締め切りが迫って来る中で最終的に自分が行き着いた結論は
「一般的に、ではなく自分の歌で勝負しよう」
人知れぬ涙を組み込んだプログラムで、審査の結果、コンクールではミラノ大賞をいただき、イタリアへ留学できることになりました。ステージ裏で審査委員長より「無理のない自然ないい声だね。感心したよ。イタリアで、しっかり勉強してきなさい」と、声をかけていただいた事を今でも覚えています。この時がなかったらその後のイタリアでのキャリアもなかったわけで、まさに運命が変わった瞬間でした。
「歌に対して謙虚になれ」と私を叱った先生は昨年、突然他界されてしまいました。しかし、今もなおその言葉は私の脳裏に深く刻まれており、この曲を歌う度にそれを思い出し、目の前の曲に対して謙虚かどうかを自分に問うきっかけになっています。その言葉がなかったら、きっとイタリア留学にはたどり着かなかったように思います。
私にとって、運命を変えた特別な1曲、それが「人知れぬ涙」です。