太宰治「女生徒」 読書感想文

 まず、短めの小説っていいよな、ちょっとそろそろ接種したいなとおもいいていた折、仕事の関係でちょくちょく話をしている十五夜あぴさんが小説読みだということでオススメをしてもらったものの中に太宰治の女生徒という作品があったので読ませていただきました。なんで小説を読もうかなと思ったかと振り返ると、ツイッターのスペース機能で幸せと幸せになるためのコストについて話していたとき、これまた仕事の関係でちょくちょく話をしているKarin社長が来て「最もコスパのいい娯楽は読書」という話をしていたのを聞いていたり。自分が動画コンテンツを倍速視聴してしまったりするので、どうあがいても倍速視聴できない小説というコンテンツってなんか良いという気持ちと。十五夜あぴさんの「現代の作品は感じ方に対する押し付けが激しい」などのトークを聞いたことと。新しい刺激を拒絶していた体調の状態がそこそこよくなってきたのではないかと感じたからです。
 地元の図書館で借りようと思って調べたら電子図書館というサービスがあったので図書館に行って貸出カードを作ってからオンラインで読みました。社会福祉最高!
 以下感想。
”女生徒”の視点、というより彼女の脳みそになったような作品だった。女生徒の操縦席に乗って見ている視界という感覚。
 見聞きしたことに対して(不快だ→でも納得できる→自分もそうなのかも→しょげ…→でも相手も同じような感じかも)と、生きている人間なら脳内で自然にしているであろうあっちこっちふらふらな、他人に表明する前段階の未確定スタンスを見せられて共感してしまった。こんなに身もふたもなく脳内じゃんというものをお出ししてもいいのかという驚きがあった。
 人が他人に見せる顔・意見・行動は立場や社会的役職によって作られている。女生徒は子供という役職をはく奪されつつあり、新しい役職を得るための時期で、この社会でどんなふるまいをしたらいいかと悩んで苦しんでいるようにも見える。
 読んだ人それぞれに違った感想を持つんだろうなと感じました。わかるわ~としか言えないところが多すぎて感想文として成立するほどの質量で書けないので、読みながら感じたことのメモみたいな感じで箇条書きしたので手元に本作がある方は開きながら該当箇所を探してみてください。(ツイッターで作品の実況してる人みたいな感じになった)
 ぶっちゃけ読書感想文苦手部だったため書き方が分からない。でも知ってる人にオススメされて読んで、思ったことを伝えたいと感じたので書こうと思えました。十五夜あぴさんありがとうございました。

以下読みながら箇条書き
・ぶさ犬に対して意地悪をする:そういう時もあるよね。ジャンプ主人公なら落第
・電車の空いた席に荷物を置いてスカートを直して座ろうとしたら荷物をどかされて座られてしまった→そこ私の席ですのと言ったら苦笑されて無視された(よく考えたらどっちが図々しいのかわからない。こっちかも。)←めっちゃわかる。荷物おいた席は自分のものという自分都合のシナリオを勝手に信じてた自分が悪いのか、それをどけて座って横柄にしているやつが悪いのか。僕の場合は他人を悪者に思う自分と向き合いたくなくて自分が悪かったことにしたくなる。その一方で頑として譲らない場合もある。
・自分に経験がないゆえに読む本ごとに同調同化して自分のものとすることを才能・特技といったりずるさ・いんちきといったりしている二律背反。
・自己批判をして、その自己批判すらも安易な逃げの結論にはしって無意味なものだったという自己批判ループ。からの(批判も何もあったものではない。何も考えない方が、むしろ良心的だ。)という安易な逃げの結論。
・雑誌のコメンテーターの語り口を斜に構えて見て「しょっている。」といいながらも言っている内容には素直に感化される。でも彼らの言葉も他人に表明した一面のスタンスでしかないのではないか?
・「正しい生き方」とやらを説くならこいつらはどこまで付きっきりで見守って導いてくれんの?なんなら指図してくれた方が楽なんだけど←わかる
・自分がやりたいことややるべきことをやることが正しい生き方だとみんなわかっているが、個人個人の社会における役職と「世の中」という集合的無意識の大きな力の中でそれをやろうとしたらすんごい大変。だからみんな前ならえで生きてるんでしょ?「少数者への教育を全般へ施すなんてずいぶんむごいことだとも思われる。」←好きなことで生きていく。ができるのは強者だけ。わかる。
・自分が電車内の男に笑いかけたらずるずると流れで結婚する羽目になる。おそろしい。と思いながら自分の思い入れのある風呂敷に目をかけてくれる人がいたならその人のところにお嫁に行ってもいい←自分がとった対外的態度で社会的な流れが形作られてしまうという怖さと、自分の個人的な(内向きの)過去を内包した風呂敷への価値を共有してくれる人と一緒になりたいという自意識。
・「雌鶏。」←女性同士だから♀フェロモンを不快に感じるみたいなことではなくて、この妊婦は女性という役職に乗っかって女性装しているだけの本質的には不潔で臭い動物なのに。というようなニュアンスに感じた。そしてそれはこっそり美容院に行ってきた女生徒も変わらないとのこと。女生徒の年頃の敏感さも感じられる。
・都会のお嬢さんロールプレイで帰り道を歩いたあと情緒めちゃくちゃになってるのウケるね
・お母さんがお客さんが来た時お客さん向けの顔してるの痒いよね
・「顔は、他人だ。」頭の中で喜んだり落ち込んだりしてても顔はそんなに変わってない。自分で鏡を見ても今考えてることがなんなのか読み取れない
・「ひとに甘えることができなくなって、考え込んでばかりいて、くるしいことばかり多くなった。」わかる。
・社会に見せる自分の一面(つきあい)と本来の自分(正しい野心)。食事の準備中は、母につましい娘になりますとか脳内でかいがいしく誓うも、今井田夫妻につきあった後はもうええ!もう十分やったわ!という感じあるよね。
・「いやらしい、煩瑣な堂々巡りの、根も葉もない思案の洪水」この作品そのもの。自分そのもの。人間そのもの。
・「軍人は大変だけど余計なことを考える暇がないからいい」「不平癇癪わがまま言わない盲目の新ちゃんいい子(私は悪い子)」「弟がいたら一生涯弟に捧げて生きられるのに」主体性を放棄して楽になりたいよね
・「わるいのは、あなただ。」止まない雨はないとかじゃなくて今この雨が耐えらんないって言ってんの!別に今しか見てるわけじゃないけど苦しい今を無視して先のことばっか言うなよ!
・ぶさ犬の足音。明日はかわいがってあげよう。←そうしてあげて。
・「お休みなさい。私は~ ~もう、ふたたびお目にかかりません。」眠りに落ちるときの思考がほどけていく感じ。

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