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西野亮廣が25歳で一生分の絵本のストーリーを考えた理由

25の時に、このまま、芸能界をやってても、ビックリするような未来は待ってなさそうだなと思っていた西野亮廣さん。世界を狙おうとシフトチェンジを考えていました。

世界を狙おうと思った時にハードルになってくるのが言語。漫才などの日本語依存のエンタメやってる以上は、どんなに面白くても、海の向こうには出ていけない。「何か無いかな?」と思っていた時に、タモリさんのアドバイスもあり、絵本を書く事になりました。

絵本で世界を獲りいくぞ!と思いになりましたが、当然、1冊で獲れるものではないです。例えば、ビッグヒットしてる絵本でいうと、「はらぺこ青虫」。でも、「はらぺこ青虫」の作者ってパッと名前が出て来ないですよね?

つまり、「はらぺこ青虫」は知ってるけど「はらぺこ青虫」の作者が世界のエンタメを獲った事にはなってないのです。だから、1冊じゃ無理というのは証明されていて、コンスタントに新ネタを投下していかないといけない事が分かっていました。例えば、ジブリ。「天空の城・ラピュタ」だけではダメで、「風の谷のナウシカ」だけでもダメで、やっぱり「トトロ」や「もののけ姫」などを、どんどん投下していったので、世界で宮崎駿さんの名が知れ渡ったのです。

「継続性がないとダメ」「3年に1回でも新作を出続ける状態にしなければならない」と思ったのが25歳の時の西野亮廣さんでした。

少し話は脱線しますが、最終的に繋がるので、ちょっとだけ、この話に付き合って下さい。どんな話かと言いますと、西野さんが好きな作家さんの特徴の話です。

西野亮廣が好きな作家の特徴とは?

これは完全に西野さんの好みなのですが、どの作家さんも、40代中盤までに書いた作品が結構好きらしいです。それ以降の作品って、変化球が効きすぎてる感じがするのです。最初はベタだったけど、芸歴を重ねると、自分の中に飽きが出てくるのかもしれないけど、ベタを避けて変化球、変化球、変化球みたいな事をしてくる!それが西野さん的には好みではなく、若い時に作った作品の方が好きだなと思ってしまうのでした。

そして、25歳だった西野さんは自分に置き換えてみました。「いつかは歳をとり、50歳になって、60歳になって、70歳になって、80歳なって、もしかしたら自分も変化球、変化球としてしまうかもしれない。じゃあ、25歳の今の時点で、一生分のストーリーを作ってしまおう。一生分の作品の設計図を作って、生涯を通して形にしよう。形にする技術は年齢と共に上がっていくけど、発想の部分は多くの作家の傾向を見てると若いうちの方が良い。だから、25歳のうちに一生分のストーリーを作ってしまおう」それなので、西野亮廣さんは25歳の時にストーリーを完成させたのでした。そして、西野さんの絵本は全部、繋がっています。そこで、ストーリーに、巧妙な仕掛けをしてるのでした。

西野さんの絵本の巧妙な仕掛けとは?

先ほども言いましたが、西野さんの絵本は繋がっているのですが、そこには、こんなカラクリがありました↓↓↓

【大まかな流れを書いて、あとで接着できるように連結部分だけを作っている。伏線とはバレない連結部分を作っている】

イメージとして、レゴブロックでビルを作ろうとした時に、ビルの40階にベランダを作ったとします。そういう、出っ張る所を作って置けば、次に横にビルを建てようと思った時に、橋みたいな感じで繋げる事が出来ますよね。そんな感じで、ストーリーを繋ぎ合わせられるように、連結部分を用意してるのです。

全てのストーリーに入れてあるそうです。そうする事で、後で回収しようと思ったら回収できます。もし、そこを回収しなくていいと考え、連結させなくても、悪目立ちしないようにしてるのです。

なぜ、連結部分を作ってるのか?

一生分のストーリーを書いても、その時代にマッチするかは分からないから遊びシロを作ってるのです。

分かりやすいのが「えんとつ町のプペル」で、元からハロウィンの物語ではあったけど、ジャパニーズ・ハロウィンが、こんなにも盛り上がるとは思ってなかったのでした。だから、「えんとつ町のプペル」は最初、ヨーロッパみたいな建物だったけど、途中で大きくイメージをチェンジしました、日本風に。日本のハロウィンのアイコンを取りに行こう!とシフトチェンジしたのでした。こうやって、シフトチェンジできたのは、連結部分を用意してたからなのです。以上が【西野亮廣が25歳で一生分の絵本のストーリーを考えた理由】でした。

※この記事は、2020年10月30日にオンライン上で開催した【西野本人が「西野絵本」のストーリーの全貌を語る会】を参照にしています。



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