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nokto etapo 04

   照らすもの

 エードラムはカウンターの席に座りながら、前の二つを眺めていた。
 最初の楽隊(バンド)はうるさい。演奏自体はうまいが、基礎がガタガタしている印象を受けた。舞台映えもして魅力もあるが、その演奏スタイルは聴く者を選ぶだろう。大丈夫、賛否はあっても好いてくれる奴も多いさ。
 二つ目のトリオは、ちぐはぐ。一応の恰好はついているけれど、個々の技量も特徴もバラバラ。リュートは緊張しちゃってせっかくのいい音が出てないし、フィドルはうまいけどちゃんと合わせてない。ピアノはまあまあ、むしろ人を惹きつける歌声が花丸だけど、曲調にちっとも合ってない。
 まあ、あの子たちはまだ若い。もっと腕を磨いて、もっといろいろな人と出会って、違う楽師と組んだら、全く別の輝きを放つかもね。
 エードラムはグラスの酒を飲み干し、床に置いた荷物からブズーキを取り出した。
「お手をどうぞ」
 少年たちと入れ替わりに出てきたオルフェオがそうおどけるが、彼女は無視してステージに上がる。年配の者から感嘆のため息が零れた。
 エードラムが左に、オルフェオが右の椅子に腰かける。弦の調子を見て、驚くほど早く、互いに目配せをする。

 トン ポン タ、タ、タ、トン

 オルフェオのリラが淡い光の音を零す。性格はどうにかしてほしいけれど、音はいいね。エードラムはブズーキの弦を弾いた。隣で生まれる音よりも高く、そして明るい光の粒。
 皆が舞台に釘付けになった。ブズーキとリラのデュエット。その旋律は一つの景色を見せる。
 『故郷』。そう名付けられた曲だった。この街ではない。ここへ移り住んでくる前、自分の祖先たちが手放すことを決めた大地。それを『故郷』と誰かが呼んだ。まるでこの地を否定する言葉。それでも、流れる血の鎖には抗えない。遠い、北の地。誰かが、郷愁を唄った。
「……排した剣が、故郷を廃する」
 静かに淡々と続く演奏を聴きながら、酒を充分に流しこんだ唇で客の一人が囁いた。この曲は歌がついている。だが、舞台の二人は歌うつもりがないらしい。歌姫エードラムも、その声を紡ごうとしない。わずかにメロディーラインをブズーキの演奏の中に取り入れる程度。

「家路を断つんだ 流れるのさ」
「根を張る場所は 流浪の先さ」

 二人の弦が奏でる音に寄り添うように、小さな小さな声が聞こえた。邪魔しないように。それでも、彼らは歌をやめない。この曲が流れているから。たとえ唇を出なくても、喉の奥で引っかかっても、『故郷』を聴けば自らが声を発することが、体に染みついているのだ。

「父と母が育んだように」
「まだ見ぬその地を慈しもう」

 エードラムは舞台の上から、その様子を見ていた。自分の潰れた喉と冷めた声では決して織れない、その土地を覆うショールみたい。
 瞬いてる。
 ビィンと強めに弦を弾くと、後から柔らかい花がくるくると舞った。いい仕事するよねえ、何者なんだろう。もう何十年もステージに立ってきたが、このリラ弾きとは今日が初対面だ。年齢だって高いのだから、どこかで共演していてもおかしくないのに。
 小さな歌声は星みたいに散らばっている。素敵な夜空だわ。

『エードラムは光ね』
 幼い頃の声が、その満天の夜空を曇らせる。ブズーキを弾く小さな両手を自分の頬に当て、彼女は幸せそうに笑った。
『ママを照らしてくれる、綺麗な光』
 そう言って、彼女はくるくるとその光の中で舞う。娘から見ても若く美しい母が踊ると、まるでオルゴールについた高価な人形のようだ。いや、そんなものよりも遥かに母は愛らしくて、そのことがエードラムの誇りだった。
 ――そうね、確かに光だったわ。
 歌姫として舞台に立っていた時は、誰もが私に魅了された。私がママの踊っている姿を人形のようだと思ったように、きっと私も黄金律で作られた彫像のように見られていたんだろう。囀ればため息を呼び、微笑めば相手の頬に花が咲く。
『わたしのエードラム』
 彼女は大人になっても、そんな風に抱きついてきた。何かに縋るように、ぶくぶくと太った腕を背中に回してくる。その度に私は子どもにかえらされる。ママを照らさなくては。冷徹に跳ねのけて雑言でも吐きたいのに、あの白魚みたいな手が豚足になっても、妖精みたいな顔が年老いて醜くなっても、私はお空の月になろうとしてしまう。

 カツ

 休符の位置に合わせた短い音に、エードラムは気だるげに視線を上げる。この曲は短いフレーズを何度も繰り返す。客たちの声は次第に大きくなっていた。酒の勢いもあるだろう。あ、隅の方の女の子たちは退屈そうね。あくびはしないでちょうだい。
 ――ママ、私はね。
 プォン、ト、ト、ポン
 オルフェオのリラの花が大地に植わる。まるで、新しい土地を開墾する農夫たちのように、草花が根付き、発芽し、実をつけることを願いながら、種を蒔く。きっと、春には芽吹いたんでしょうね。色とりどりの花。
 味気なく感じてしまうくらい、二人の音は熱を上げない。熱くもなく冷たくもない、春の涼やかな空気みたいだ。

「帰らぬ土地に、いつか還ろう」

 ――ママを照らす照明装置じゃないの。
 最後の歌詞を歌い終えると、客の中に得も知れぬ充実感がわき上がる。終わり方も、何ら変哲のないものだった。ブズーキとリラが、最後の音まで弾くと、それらしい飾りもなくあっさりと『故郷』は終わった。
 拍手と口笛と歓声に、二人は心ばかりのお辞儀をする。
 こんなに人が見つめてくれる、熱心に私の音を聴いて、私を褒めてくれる。この年になって何を子どもじみたことを言っているんだと、死んだ父は笑うかもしれない。でも。
 ブズーキのネックを撫でる。大きな影に視線を上げると、オルフェオが微笑んで分厚い手を差し出していた。輝く瞳。たくさんの、光。
 これがあるから、私はまだここにいるのかもね。
 ポーズとしてため息を吐くと、エードラムはオルフェオの手を握り返した。

 エードラムたちの演奏を一番後ろの壁に寄りかかって聴いていたメルキロは、改めて彼女の偉大さを実感した。
 エードラムが歌を仕事にしていたのは、自分がうんと小さい頃の話。生まれた時にはすでに彼女はスターだった。古い記憶に残っているエードラムの歌声は、今でも余裕で脳内再生できる。喉の開き方も声量も、自分とは違う唱法。可憐な彼女の姿だけが目当ての者もいたし、外見だけで歌は下手だと揶揄する者もいた。だが、彼女は高嶺の花で、いや、高嶺よりも更に上の空に浮かんでいる月のような存在だった。
 そんな彼女が喉を潰した。聴く価値もないと、歌姫エードラムはこの世からいなくなった。残った名声と美貌にすり寄ってくる者もいたが、それも一時のことだった。
「しっかし」
 傍のカウンターに座るルイーゼが一人ごちる。メルキロが見ていると、女将が振り返り視線が交わった。
「笑っちゃうくらい綺麗」
 マダムが吐き捨てる。同年代の女性として、嫉妬や羨望、負けたくないと競う気持ちが強いのだろう。それでも、彼女の光を認めてしまう。
 演奏が終わった。今までで一番の喝采。
 その光の強さを称えれば、彼女は享受するだろうか、それともあのリラ弾きの時のように厭うだろうか。
 メルキロが一人で考えていると、裏手の扉からフィーロが出てきた。どうやら体調は戻ったらしい。顔色は元に戻り、呼吸も安定したようだ。
「いま終わったよ」
 小さな落胆を見せながら、そう、と少年は呟く。何かを探すようにフロアをぐるりと見渡したが、お目当てが見つからずメルキロの隣に並んだ。
「どうだった? 初ステージは」
 楽師による舞台は終演。これにより先程の演奏は過去のものになった。
 フィーロは困ったように頭を掻きながら、喉の奥で唸っている。
「もっとうまくなりたいなって。
 ひとと合わせるのもまだ全然だし」
 ふむ、とメルキロは片眉を上げる。きちんと別の音を聴いていたようで一安心する。
「でも、楽しかった。とても」
 噛みしめるように零した言葉は、小さく震えている。緊張ではないようだ。むしろ、
「アツかった?」
「めっちゃアツかった!」
 興奮して感情の幅を振りきれたらしい。素直だね、とメルキロが笑う隣で、フィーロは誰も立たない舞台を見つめる。
 あそこから見える景色は、まるで異次元を覗いたようだった。
 見たこともない光景というわけではない。しかし、この世界のどこかにあるその景色は、時代や空間を軽々と越えた、『この世界ではないもの』なのだ。
 音も、光も、色も、波も、一つでは判断できないほどの渦が、自分を攫う。
「おい、アンコールはねえのかよ!」
 酔っ払いの怒鳴り声に、ルイーゼが慌ただしく出ていったのを確認し、フィーロは大きく息を吸う。
 これから幾度となく舞台に立つとしても、きっとこの一夜のことは忘れないだろう。一夜の、わずかな時間の競演。耳の奥でぐるぐると、今夜の音が響いている。

(続)

【2013/08/18】

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