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博士のアルバム 11話

 実家から離れたい。先生と同じ。私も実家を出たくて仕方がなかった。
冷え切った父親と母親の間で神経を尖らせながら生活するのに疲れていた。

絶対に家を出る。家庭内のストレスを勉強することで紛らわせた。
その甲斐あって他県にある有名私立大学に入学することができた。母は泣いて喜んだ。
お坊ちゃん、お嬢ちゃんが、多く通う大学でお金はかかるが母がなんとかしてくれると思っていた。

 初めての一人暮らし。夜遅く帰っても小言を言われない。私は毎晩のように遊びまくった。お酒もたばこも覚えた。
母が少しづつだが仕送りしてくれ、
月に一度は、私の下宿先に冷凍食品など買って持ってきてくれた。
それが徐々に当たり前になってくると、友達の仕送り額と比較するようになっていた。
裕福な家庭の子たちに負けじと見栄を張る。
不相応な付き合いをした。
遊びほうけてお金が足りなくなり母にせびるようになった。
小さい頃の鬱憤をはらすかのように。

 ある日、母から連絡があった。自転車に乗っていて転んだと。大した怪我ではないが家事や仕事をするのに支障がでると言っていた。
それでも私は実家に帰らなかった。
甲斐性のない男と結婚し、浮気をしていた母を私は心のどこかで見下していた。
学歴がないもの同士、お似合いじゃないのか。私は母と父に勝ったと思っていた。

 怪我の後遺症のせいか、母からの仕送りが滞るようになっていた。
お金に困った私は、昼間のアルバイトより時給のいい夜のアルバイトを始めた。
そこで楽に稼げることを覚えた。濃い目の化粧をし、肌を露出した服を着て、座ってお酒を作り、おじさん達の話を聞いてあげる。
最初の給料は月30万円で現金で渡された。30万円の封筒の厚みを実感した。稼いだ分、交友費に使う。見栄を張ることしか頭になかった。

 大学を卒業し、商社に就職した。ひとつ上の先輩と恋愛関係になり、益々実家に寄り付かなくなった。
私は、先輩に夢中だった。
先輩の両親は大卒で、お父さんは国家公務員、お母さんは専業主婦だった。
当然、私の家族の話になる。とっさに嘘をついた。
父親は海外赴任で両親は日本にはいない。会うのは年に1回だけだと。








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