にしおかごいぶち/自分の世界観を当事者研究する

複数のNPO・企業に所属して、事業づくり、組織づくり、ファシリテーションなどいろいろ。…

にしおかごいぶち/自分の世界観を当事者研究する

複数のNPO・企業に所属して、事業づくり、組織づくり、ファシリテーションなどいろいろ。 NPO法人CRファクトリー、認定NPO法人かものはしプロジェクト、一般社団法人JIMI-Lab。 妻の夫、二児の父。

最近の記事

言葉について

言葉は、人生をかけてずっと身体に染み込んでいる。 人の語り、うた、映像、そして本。たくさんの言葉に触れ続けている。 時に輝いて見えるものに出会うこともあるが、ほとんどは大きな主張はなされず、静かに身体にすっと入ってくる。 何が残るか、何が自分の言葉になるかは、意識されない。ただ、表に出してみた時に、「ああ自分の中にこういう言葉がいたか」と気づかされる。 他者との対話の場において。 そこに漂うものに名や形を与えようとして、慎重に、しかし刹那の間に、湧き上がってきた言葉

    • 「かっこいい」とは?

      内側から発せられていること。リアルで、ウソがないこと。 あきらめていないこと。誰に何を言われても続けられること。 葛藤を経て、解き放たれ、自由であること。 誰かではなく自分の価値観によっていること。 集中し、おもしろがっていること。 自らをも変えていけること。 おいしい料理をおいしいと思って、つくり、運ぶ人。 誰かの笑顔を想像しながら笑顔で贈り物を選ぶ人。 目的地なく、ただ歩くことを楽しんでいる人。 いま・ここの感情を表すぴったりした言葉を発見した人。 理

      • 別れについて

        ふと「別れ」について何か書きたいと思って浮かんだのは、母の顔だった。 先日、夫婦で話をしていたときにふと「お母さんのことはあまり話さないよね」と言われた。言われるまでは気づいていなかったが、思い当たる節はある。 僕が17才だった年に、母は脳卒中で倒れた。連絡を受けて駆けつけた僕に、母は「らいじょぶ、らいじょぶ」と明らかに回っていない呂律で強がった。救急車に乗り込み、手術室に入り、じっと待っている間、体が芯から凍りつくようだったことを覚えている。 しばらく経って退院した母

        • (19)この日常の中でのペースメーカー

          約3ヶ月かけて、全9回のラジオを自分でやってみて、ようやく内面のざわつきが落ち着いたという感じがある。 思えば、特に4月から5月あたり、調子を崩していた。本が急に読めなくなったし、育児・家事をしていてもイライラが多かった。 ラジオを始めて、月に2回ぐらい、好きな人をゲストに呼んで話を聞いたり、自分の感情をつらつらと話したりするようになって、それが僕のよりどころのひとつになっていった。 そういう日々を通して、家族・チームの中でのあり方と、社会・仕事で起こしたいと願う変化とを一

          (18)あいまい村の住民

          説明するって難しい。 「カウント」可能なものにするって難しい。 というかあんまり興味がない。 でも、世の中の多くはアカウンタビリティでできている。 こっちはもう、すごくあいまいな世界で生きている。 「なんとなく」の感覚を、言葉や仕事にしてなんとか暮らしている。 正しさを戦わせる「議論」になると、ぜんぜん勝ち目がない。 「あなたには”あいまいリテラシー”が低い!」なんて言い返したくなるけど・・・。 それも不毛な気がする。 両方の世界を行ったり来たりしながら、上手にやっていこう。

          (17)身体性と多様性の関係

          多様性を受容するということを、「ここにはいろんな人がいて、自分とは必ずしも価値観や好みが一致しないかもしれないし、ちがいはあるけど、それでもまぁオッケー。楽しめるよ」という感覚だとする。 その感覚は、「身体性が疎である」場合と「身体性が密である」場合と、どちらの方が得やすいだろうか。 疎である場合。 それぞれ自宅などプライベートな空間から映像と音声だけを接続して、何か不都合があれば切断することもできる。 自分を「晒す」という不安が小さくなるし、他者との対立や軋轢を避けること

          (16)絶望の経験は人生に必要なのか

          コロナの状況下でもその前からも、不確実・不安定・矛盾を受け止めて楽しむ力が大事な時代だと感じている。 複雑性が高まり続けて未来は逆算しにくくなっている。現在をチューニングしながら自分を最適化し続けるのが、僕自身の生存戦略でもある。 僕の「不安定受容力」みたいなものは、10代のころにあった絶望とか逆境の体験(主に親の病気や自己破産)とつながっている。 人生にはほんとうに突然、どん底が訪れる日があるという感覚が僕の中には流れている。 「だからこそ」いろんな力、生きるバネみたいな

          (15)ミルフィーユみたいな精神構造と自治する力

          思わぬ角度から、自分の精神構造が「脆弱さ・傷つきやすさ」を持っていて、「自分でもなんだかよくわからない感じになっちゃってる」ことを指摘された。 ウッと差し込まれる気持ちになりつつも、なんとなく、来た、とも思った。そろそろまた自分の内面を掘り下げるタイミングなのだ、とも。 過去にまた別の人に言われたのが「ミルフィーユみたいな精神構造」という表現。いま自覚できるだけでも3層ぐらいある。 一番内側の第1層には、心からの願いや、純粋な方向感覚が入っている。 ひとつ外側の第2層には、

          (15)ミルフィーユみたいな精神構造と自治する力

          (14)尊厳と多様性はどうしたら守られるのか

          BLACK LIVES MATTERの背景を勉強している時。 キッズラインの男性ベビーシッター中止のニュースリリースを読んだ時。 妻とジェンダーやフェミニズムについて対話しながら学んでいる時。 子どもの虐待死の経緯や判例に触れる時。 テレビから無意識のマウンティングや自己責任論が透けて見える時。 会社組織や政治システムの構造の分厚さを感じる時。 ああ、残念ながら、尊厳と多様性が守られるというのは、とても難しいことなんだ、と思う。 あらゆる関係性において人間の対等性は踏み潰さ

          (14)尊厳と多様性はどうしたら守られるのか

          (13)おままごとがしんどい

          3歳の長女とのおままごとがしんどい。 お医者さんごっこ、保育園ごっこ、レストランごっこ、緊急事態ごっこなんてものもある。 一緒に楽しもうという気持ちをつくることにまず努力が必要で、続けていると徐々に気力が抜けていくような感じになる。 妻とも話して、どうしてしんどいのかを考えてみた。 尊重されない・選択権がないすべては娘の指示のもと、配役や台本が指定される。アクターに選択権はない。 少しでも設定から外れれば、「ちがうよ!」という鋭い叱責が飛ぶ。 ひとりの人間として尊重されてい

          (12)福祉と権利

          新型コロナウィルスの影響で、社会の構造が大きく揺らいでいる。 構造が揺らぐと、その中で生きる人間の、生活基盤やQOLのあり方が揺らぐ。 僕の中には、何かが脅かされる予感と、何かを守り修復しなければという気持ちが漂っている。 何かとは、何だろう?今日は、「福祉(welfare)」と「権利(rights)」について話しながら考えた。 福祉(welfare):最低限の幸福と社会的援助の提供(辞書通り) 権利(rights)自立したひとりの人間としての社会での対等性・公平性(自分な

          「オールエッジニッポン」アーカイブ

          関連note記事・vol.9での気づきからのnote(最終回) https://note.com/nishiokagoibuchi/n/n130e94471565 ・vol.8での気づきからのnote https://note.com/nishiokagoibuchi/n/n29c3f27a1b23 ・vol.7での気づきからのnote https://note.com/nishiokagoibuchi/n/n15d2c6d6e880 ・vol.6での気づきからのnote h

          「オールエッジニッポン」アーカイブ

          (11)多面性が軟禁されている

          人間は、多面的ないきものだと思っている。 少なくとも僕は、日々の微妙なチューニングを行いながら、多面性をバランスよく発揮できている方が、快適に暮らせる。 妻との間にある自分、娘との間にある自分、信頼する仲間との間にある自分、古い友人との間にある自分、所属組織それぞれの中に置いている自分。 矛盾しながらも多面性・多様性を内包しながら生きているということが、僕に自分と他者の可能性を信じさせてくれる。 ひとつの組織の中にある多様性よりも、ひとりの個人の中にある多様性の方こそを期待し

          (10)突きつけられる「それ、どうなの?」/加速する支配・暴力

          突きつけられる「それ、どうなの?」いま、否応なしに「それ、どうなの?」と突きつけられている。 個人の生き方、夫婦やパートナーシップの関係性、組織のあり方、様々なものが揺さぶられている。 この状況が「いつまで続くのか」「どうなったら次のステージなのか」誰もはっきりとはわからないから、見通しが立たない。船は大揺れだけど、目的地の島影も見えない。 私の生き方って、軸がなくて自立しているとは言えないのかも? パートナーのことをほんとうは愛していないのかも? この組織内の関係性はガタ

          (10)突きつけられる「それ、どうなの?」/加速する支配・暴力

          (9)つながる権利、偶発の演出

          前回のnote記事にコメントをもらったところから、世代と専門領域がちがう友人2人と一緒に、オンライン対談企画をすることになった。 「ソーシャルディスタンス・COVID-19によって社会が損なうもの・獲得するもの(招待者限定対談企画)」 いま、COVID-19で社会も個人も大きく揺れている渦中にあるけれど、その中でも少し立ち止まり、内省して対話することにはすごく価値があると思った。 前回の記事で、僕は「埋もれていたメンタルモデルが表面化しやすくなっている」と書いた。 福祉

          (8)COVID-19によって社会が損なうもの・獲得するものと、僕自身への影響

          このウィルスは、人間社会に分断をもたらしている。 もう少し正確に表現すると、ウィルスの影響によって、人間が社会の分断を選択している(せざるを得なくなっている)。 物理的に、集まれない。「対人」が基本になるサービスやケア、コミュニティは、事業継続が窮地に追い込まれている。アイデンティティを問われ、あり方を変化させているところもある。 僕は、精神的な分断こそが恐ろしい。 ポジショントークが増えて、世代間対立が表面化している。 家庭や組織など内部の関係性が悪化しても、外部からの

          (8)COVID-19によって社会が損なうもの・獲得するものと、僕自身への影響