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【復刻版】放射能汚染・5年目のチェルノブイリ 【第4回 被災地への援助とその使い道】

【この記事は復刻電子版です。最新の記事・情報ではありません】1990年に取材。同年10月に集英社・週刊プレイボーイで連載した記事を編集しました。※当時の「白ロシア」は「ベラルーシ」と表記しました。

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ベラルーシ共和国から世界に向けて救援アピールが出されたことは記憶に新しい。しかし、その現場では、救援する側とされる側の間に困難な点も多いという。外国からの支援が市民にどのような影響を及ぼすのかをレポートする。
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国家の危機、220万人の放射能汚染

何度、インタビューしても同じだった。ソ連の人々は決して日本人や西側外国人の批判や悪口を言わなかった。聞けば、ソ連ではお客としてやって来た外国人を前にして、その国の欠点を言うような態度はとらないのだという。

もうひとつ理由があると思われる。それは、市民が利用する日本製の電気製品や車などの工業製品の性能が良いからだ。事実、私たちが街を歩くと「キヤノンのカメラだ。新製品だ」という声が聞こえて視線が集まってくるのがわかる。

私たちは、1週間、2週間とソ連で時間を過ごすにつれて、救援要請の声の切実さを感じ取っていた。
「私は西側のジャーナリストが来るのをずっと待っていました。しかし、日本からは誰も来たことがありませんでした。あなたがたを歓迎します」
白ロシア共和国最高会議のスタニスラフ・シュシュケビッチ副議長は開口一番こう言ったのだった。

最高会議の副議長は、副首相にあたる。シュシュケビッチ副議長は、以前、最高会議の向かい側にあるベラルーシ大学の副学長をしており、核物理学の博士でもある。
「日本が体験した広島・長崎への原爆投下という悲しい現実を私は研究していて知っています。私たちは、広島・長崎について詳しい日本の専門家と交流を持ちたいのです」

ソ連で「広島・長崎」が有名なのは、戦後の冷戦時代に、共産主義の国として反戦・平和を象徴的に使われたからだと思っていた。
しかし、チェルノブイリ原発事故以降、ウクライナやベラルーシ共和国では、真剣に「広島・長崎」という言葉を使っている。
「汚染された農産物は、ベラルーシだけでなく全ソ連に送られてしまいました。農民はもはや自分の農園で育っている作物を収穫してはいけないのです。こうした被害を考慮した経済損失は800億ルーブルから千億ルーブルになります」(シュシュケビッチ副議長)

事故の被害は農産物だけではない。森林、農地、市民の医療、移住とその建設費用など、数え上げればキリがないほど多くの問題が山積みのままだ。全人口の5分の1の220万人が放射能汚染されたベラルーシ共和国は、民族の存続さえ危ぶまれる状態なのである。

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