白い紙の上におとぎの城を描く
今回は、オープン朝礼の「社長日記」回ということで、
西野の脳内書き下ろし、日常の気づきの公開にお付き合いをいただきます。
(この記事は、2024年5月に社内向けに発信された内容をもとに編集を加えて公開しています)
#109 白い紙の上におとぎの城を描く
ちょっと前まで、青山店や加盟店のショップメニュー背景は黒板をモチーフにしたような「黒」だったんですが、最近になって「白」ベースがメインになりました。
一見、なんの変哲もなバージョンアップではあるのですが、「黒から白に変える」当初には、社内を調整してリードしていくちょっとした苦労があったりします。
例えば、企画者が「黒いメニュー表を白に変えようと思うんだけどどうしょう?」と周りに尋ねたとしましょう。
そんなヒアリングしたとしても、「現在の完成品」しか見えていない人たちには、「黒」の現状維持一択しかありません。
なぜなら、変えるメリットはあまり感じなくて、わざわざ新しくリスクのある選択をする必要がないからです。
しかし、企画する側の人間には「白になった未来」が見えています。
他の人たちは、形になった後の「白の完成品」を見て初めて、
「ああ、なるほど。これなら確かに白もいいね」
という比較ができるようになるんですね。
だから企画者は、「黒でいいじゃん」という人たちを前に、
折れることなく少しでも「白になった未来の素晴らしさ」を粘り強く説得しないといけません。
こんな感じで、「企画をする人」だとか、「最初に事業を起こす人」は、
「これからこういうことをやろうとしています」と言っても「思い描いていることが人に伝わらない」難しさといつも向き合っています。
「最初に事業を起こす」。
つまり、ゼロからイチをつくり出すということは、
真っ白な紙の上に、人々を感動させるような絵を描き出すことと同じです。
描き始めるとき、そこにはまだ何もありません。
その大きな大きな白紙の前で、「ここにはいずれ、見たこともないようなきれいなおとぎの城が出来上がるんだ」と言っても誰も信じません。
「そんな城があるもんか」と馬鹿にされます。
無理もありません。そこにはまだ何もないんだから。
でも、描いている本人には見えています。
その城には誰が住んでいるのかとか、どんなふうに働いているのかとか、
中庭には真っ赤な果実の木が生えていて、鳥たちが集まり人々の憩いの場になっているとか、
召使いの1人が怠け者で、この木の下で寝ているとか、そういう細かいストーリーまでが鮮明に浮かんでいます。
下書きが終わると、なぞったり色を塗ったりする作業が始まります。
そうして少しずつ形が見えてくると、やがて応援してくれたり、手伝ってくれる人が現れたりします。
それでもまだ、城の存在に気づかない人、否定する人が大半です。
中には、邪魔する人もいます。
「無駄だから早く辞めろ」という人もたくさんいます。
ゼロからイチをつくることとは、不正解かもしれないことを正解に変えることでもあります。
僕たちF&Pがやっている「スムージー」なんて、よその人から見たら、きっとただの「ジュース」にすぎません。
始まって以来10年以上、ずっとそうです。
でもそこで僕は、
「いや、ただのジュースなんかじゃない!」
「僕たちはライフスタイルを売っているんだ!」
「新しい文化を作るんだ!」
「世の人々に、豊かな食意識の気づきを届けるんだ!」
「F&Pのカフェの入口は、健康という理想郷に続く階段への扉なんだ!」
「だから僕たちがやっていることは社会的に意義のあることなんだ!」
と屈せず叫び続けて、そんな妄想みたいなこと言ったところで、そんなものやはりただのジュースと変わりがないかもしれないものに、
「ただのジュースではない」特別な価値を与えようとして、もう10年が経ちました。
じゃあ、なぜずっと信じ続けられているのか。
「スムージーはジュースではない」が正解だから?
そうじゃない。
言ってる本人だって、ちょっと気を抜けばいつだって、そんなのはただのジュースに見えてくることだってあります。
僕たちがやっているのは、もしかしたら間違っているかもしれないことを、力づくで正解に変える作業なんです。
ずっとそれの繰り返しなんです。
だから何を言われても、
「そうなったほうがきっといいはずだから」と信じて続けていられる。
信念だとか努力だとかは、いつもなんだか古臭くて暑苦しいもの。
でも、「新しい文化を創造し、感動を与える」ことを考えたとき、結局そこに行き着く以外のことを僕は知らないのです。
だからこれも、F&Pの必然なのかもしれません。
(この記事は、2024年5月に社内向けに発信された内容をもとに編集を加えて公開しています)
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