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新宿駅回想録

田舎ぐらしの18歳が一日にすれ違う人の数は知れている。5年前の話になる。大学受験の時、新宿駅を利用したが、その人の流れはまさに魚群のようだった。目的地に着くためには否応なしにその流れに乗らなければならない。知らない土地、乗り方の分からない地下鉄、余裕の無さは流れの速さで増幅する。一度角を過ぎたらもう戻れないのかもしれない、今思えばそんなことはないのだが、人が壁のように見えていた。アメフト、そんな印象を抱かざるを得なかった。

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アメフトの魚群(世界一発見したくない)を眼前に据え、九段下の予約したホテルに向かうべく、「都営地下鉄新宿線」なるものを目指さなければならない。しかしながら、新宿駅はそう易々と導いてはくれない。そもそもの問題からして、電車というものは一様にJRの管轄だと思っていた。さすがに無知ではあったが、私鉄など同じ土地に作られたら、どれがどれだか分からない。登りと下り、この二本の路線図だけで生きてきた人間に、あまりに酷だとは思わないか? 例えるなら、ハンターハンターで念能力の簡易的な説明がなされたと思ったら、超実践的な高度な駆け引きを見させられているかのような、そんな感じだ(HUNTER×HUNTER34巻を思い描きながら)。

父親はそんな文句しか今のところ言っていない私の性格を、当時からよく分かっていた。そのため出発前に新宿駅の地図を渡してくれていた。それがこれである。

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何だろう、すごく安心しない。ここまで田舎者に安心感を与えない地図も珍しいような気がする。圧倒的な情報量。うん、これが例えばドラクエとかをさ、涼しいクーラーの効いた部屋でやっていて、「あー、このダンジョンのどこだっけなぁ」って見るときの攻略本だったらワクワクするよ。でもさ、今の僕アメフトの魚群に挑むんだぜ。刻一刻とさ場所も変わるしさ、何なら新宿線そのものはここに載ってないしね。文句を言う息子の性格は変わらなかったよ、父さん。

完全に「ごめんね父さん、僕はここまでだ」の死亡フラグが立っていたけれども、何ならホテルに着くこと自体も目的ではない。目的は大学で受験を受け、見事合格に足る点数をもぎ取ってくることである。ただ雑踏に負け帰ってきたでは、末代までの恥になることは確定コースである。しかしながら、このときの状況を整理して打開するぐらいだったら、問題を解く方が楽だとは正直思った。デジモンアドベンチャーを見たことがあるだろうか。そのアニメの中で子供達が都内の路線図を見て、それぞれの家に帰ろうとするシーンがある。あのときの自分はそのことを思い出していた。「あぁ、小学五年生にできることが、僕にはできないのか」

別段、急ぎということではないことが救いであった。当日に受験ということだったらおそらくなりふり構わず、駅員さんに泣き叫んで助けを乞うていたかもしれない。しかしそうする必要はその時ではないことは確かだった。落ち着いて周りを見てみると、路線名と矢印が書かれた看板があることに気づいた。「都営地下鉄新宿線」はといえば私の好きな黄緑色で人々を案内していた。

問題を解く方が楽などと言っていたけれども、案内表示さえ見つけてしまえばこっちのものであった。事態を深刻化させていたのは、圧倒的な流れに身を任せる勇気が持てないことであった。そう、ここまで書いてきた内容は人の流れを前に、ただ立ち尽くす男の脳内である。怖い、無理だばかりが先行して、呆然と眺めるだけでは殊新宿駅に至っては攻略することは不可能である。

一人の男は勇気を持って流れに身を委ねた。お前の好きな黄緑色が目的地に導くことを今の自分は知っている。そしてそのちょうど一年後、もう一度大学受験に来ることも同様に知っている。完



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